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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年6月19日月曜日

パサルガダエ(Pasargadae)2 宮殿


パサルガダエにあるアケメネス朝時代の遺跡を見学している。
Google Earthより
③宮殿址から②ゼンダーネ・ソレイマーン(ソロモンの牢獄)と①タレ・タフト(要塞)を振り返る。

『世界の大遺跡4』は、キュロス2世の墓から北東約1.3㎞に王宮があり、謁見殿と王の私的な宮殿とが少し離れて建てられたという。
寺院や宮殿の周壁と門の方向からすれば、アケメネス朝の宮殿門は縦になっていて違和感がある。
ガイドのレザーさんは、ここから門まで行って戻ってくるのに50分かかりますと言って、さっさと門の方へ歩き出した。
私はと言えば、毎度のことながら、そこここに咲いている珍しい花を見つけては歩みを止めて撮影するので、どんどんと脱落していった。
まずは、一番端にある門から見ていく。

⑥ 入口の建物または宮殿Rの平面図
その説明板は、面積726㎡、(現在は藁を混ぜた泥で保護されている)2X2m黒い石の二段の方形台座に据えられた高さ16mの8本の円柱が立つ広間であった。守衛詰所のある4つの入口が広間に通じていて、日干レンガで建てられ藁を混ぜた泥で上塗した高い壁に囲まれているという。
これが土のプラスターで保護された、2m四方2段の黒い礎石が4本ずつ2列並んだ広間。有翼の男性像はあの屋根が架けられた柱に浮彫されているらしく、レザーさんはもう着きそう。
その両端には入口の基礎が残っていて、やはり土のプラスターで覆われている。
有翼男性像は東北側の入口にあった。平面図で確かめると、
遺跡の見学は晴れている方が良いが、光が強烈で、日陰の箇所が真っ黒に写ってしまう。編集してこの程度。
説明板は、北東の隅に1本の脇柱だけが残っている。そこには4枚の翼を付けた男性が浅浮彫で表されている。彼はエラム風の服装で、牡羊の角の上に2匹のコブラが囲む3つの日輪と葦の束を載せたエジプト風の王冠を被っているという。
レザーさんは、翼を持つのは神と同じレベルで、最高神アフラマズダに向かって手を挙げているという。
冠は確かにエジプト風。
『クロニック世界全史』は、紀元前525年、カンビュセス2世率いるペルシア軍が、エジプトのプサンメティコス3世率いる軍隊を、エジプト国境付近、ナイル・デルタのペルシウムで打ち破った。さらにペルシア軍はメンフィスを征服し、プサンメティコス3世を捕らえた。これによりエジプト第26王朝は滅び、カンビュセス2世はエジプト第27王朝の開祖として即位し、以後エジプトはペルシア帝国の一属州となる。ここにアケメネス朝ペルシア帝国によるオリエント統一が達成されたのであるという。
ということなので、この門、あるいはこの有翼人像の浅浮彫は、前525年以降、おそらくアケメネス朝第2代カンビュセス2世の時に造られたのだろう。
横向きの頭部はヘルメットでも被っているような表現で、顔の細部は不明だが、アッシリア・レリーフの男性のようなパーマをかけた髭が並んでいる。
衣服としてわかるのは、右腕から下がる長い布に房飾りがあることくらい。これがエラム風の服装の特徴なのだろうか。

続いて⑤謁見殿へ
平面図及び復元図(『ペルシア建築』より)
『ペルシア建築』は、高くて細身の石柱・木柱を用いる点は、北方の技法を思い起こさせる。宮殿の建物は三棟あって、それぞれ石造の大周壁で囲まれていた。その規模はとりもなおさず帝国の力を物語る。例えば、中枢部を占める謁見殿もしくは神殿(政治機能と宗教的機能が統合されていた)の場合、、その中央広間は70X40mという面積を持っていた。白い石と黒い石の対照的な組み合わせや、華やかな極彩色(若干の木柱は青、緑、赤、黄などで彩られていた)や、貴金属板による見事な装飾など、すべてが渾然となって、パサルガダエが並々ならぬ都、王と神の権力の焦点であることを強調していたという。
同書の平面図にはその周壁も描かれている。宮殿とされる3つの建物全体を周壁で囲んでいたのではなかった。
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトパサルガダエは、「S宮殿」という名称はドイツ語Palast mit der Saule「柱のある宮殿」に由来する。謁見の間とも謁見宮殿とも呼ばれる。南東と北西,北東と南西に門があり,宮殿内部は8本の柱からなる。四辺の外側は柱廊が取り囲んでいる。南東と南西の角にはコーナー・ルームが設けられている。8本あった柱のうち断片をも含めて残存するのは3本のみ(短い断片の2本は現代になって復元されたもの)という。
『世界の大遺跡4』と『ペルシア建築』の平面図ではコーナー・ルームは南西と北西にある。
6X2列の柱廊を通って、
柱の上方には、三カ国語の楔形文字の銘文が刻まれていた、「我はアケメネス家のキュロス王なり」という銘文は、左の方柱にあった。
レザーさんによると、上から古代ペルシア語、バビロニア語、エラム語なのだそう。
しかし、内部へは入れない。
ここで有名なのは、入口にある浮彫です。2人の衛兵のうち前にいるのは左脚が人間、右脚は大きな魚、または魚の皮をまとっている。後方には牡牛。
レザーさんは、魚はアッシリア人を表し、牛は富の象徴、槍を持っているのは近衛兵という。
左側も同じ。
見学している時は、大きな全身像の脚だけが残っているのかと思っていたが、上に庇のようなものが出ている。最初からこれだけだったということかな。
大阪大学のパサルガダエは、魚人と牛人の脚部が造刻されている。魚人は人間の足と魚身が描かれ,あたかも人間が魚身の衣を着しているかのようである。牛人は牛が後脚で立ち上がっているかのように見える。門という境界を通過するに際して人は牛から魚へ象徴的に変身するというイデオロギーを反映しているのかもしれない。図像学的には,アッシリア的要素および新バビロニア期の美術の影響を受けているという。
謁見殿(またはS宮殿)の内部は、やはり方形台座が土に藁を混ぜたもので保護されていて、奥の3本の内長い円柱だけが当時のもの。
宮殿の外側から回る。
右端の穴のある石が三段積まれているものが方柱で、裏面に銘文があった。
この辺りが南西のコーナー・ルームがあったところ。
右端が2本の方柱の残るコーナー・ルーム
2つのコーナー・ルームの間にも、8X2列の柱廊があり。その方形台座は保護されている。
高い円柱は一本柱(モノリス)?
一段高い石の段の上に小さな台座が置かれていた。
ギリシアの円柱のような縦溝はないが、一定の長さの円柱(ドラム)を積み重ねている。
倒壊した石材。いつか復元されますように。
この階段状のものには文様が。
右側が北西のコーナー・ルーム。奥に黒い石が両側に置かれた通路がある。
北側の入口にも浮彫がある。
ここにも衛兵が2人ずつ浮彫されている。前は人の足、後方は猛禽の足。
大阪大学のパサルガダエは、人間の足に続いて鷲のような足をした怪獣(怪鳥?)が造刻されている。人間も獣人も足の間に帯の結び目が垂れ下がったものらしきものが見えるという。
左側は足首までしか残っていないが日向なので見易い。
円柱のドラムが並ぶ傍を通って、

③宮殿(P宮殿)へ。
大阪大学のパサルガダエは、S宮殿の北1kmのところにP宮殿の遺構があるという。
『世界の大遺跡4』は、宮殿広間には6本5列の石柱が並んでいたが、その台座はかつてイランで製作されたもっとも美しい作品の一つとされている。重ねた角石の黒と白の対照が鮮やかであり、水平に浅い溝を彫った大玉縁はイオニア工人の洗練された技術を示しているという。
広大な④ペルシア式庭園が通路の右側に広がっているというのに、それに気付くこともなく、花にばかり気を取られていた。
①タレ・タフト要塞と②ソロモンの牢獄が見えたので写したが、ペルシア式庭園も撮れていた。
見えてきたのは多数の円柱。
大阪大学のパサルガダエは、現在、宮殿内部には多くの柱が立っているが、おそらく1970年以降に復元されたものという。
大阪大学のパサルガダエは、北西部と南東部には多くの柱が建てられた柱廊からなっている。とくに東側の柱廊にはP宮殿の残骸が多く残っているという。

③ 宮殿(P宮殿とも呼ばれる)
説明板は、3192㎡、6X5列の円柱が並ぶ広間は、2列の長い柱廊2つと2つの中庭に囲まれている。円柱の柱礎は極めてよく磨かれた白い石と黒い石の二段になっている。内部は、磨き上げられた石灰岩のドラムを積み重ねた円柱で支えられ、木製の上部構造は彩色されたプラスターで覆われていた。石製の玉座もあったという。
平面図
大阪大学のパサルガダエは、ここはキュロス二世の住まいの宮殿であるとも言われている。遺構は76mX42mのH型をしているという。
大阪大学のパサルガダエは、ここの柱の特徴は段からなる礎柱上段の円環状のトルスにある。S宮殿ではトルスに溝は付いていないが、P宮殿のトルスには8〜9本の溝が水平に刻まれているという。
『世界の大遺跡4』が大玉縁と言ってるもの。
エジプトを征服する前にリュディアを初めアナトリア半島西沿岸地方も制圧していたので、イオニアの工人たちもペルシアに連行したのだろう。 
この辺りに来ると、入口全体を写すことも忘れていた。
入口左の腰壁
やはり2人の人物を下半分だけ浮彫している。それぞれ服装が異なるのは身分の違いだろうか。
大阪大学のパサルガダエは、先頭の人物(たぶんキュロス二世?)の正面に垂れ下がった帯の上や靴にはほぼ等間隔で小さい穴が穿たれているが,これはかつて装飾品で飾られていた跡と考えられている。なお,人物の着衣の襞は斜めに流れるように造刻されている。この種の襞の描写は小アジアなどのギリシア彫刻の影響とされている。こうした彫刻技術は後代のペルセポリスやビーセトゥーンに見える着衣の表現と共通しているという。
レザーさんは、キュロス2世の衣装にあるたくさんの小さな穴には金のボタンがあったが、盗られてしまったという。
日陰で分かりにくいが、後ろの人物の服装が右側と違っている。
大阪大学のパサルガダエは、右壁先頭の人物の着衣にはアッカド語碑文(右上)とエラム語碑文(左上)が刻まれている。「キュロス大王,アケメネスの末裔」という短い文。その近くでは古期ペルシア語碑文の断片も発見されているという。
北西の柱廊側から見た宮殿内部の列柱
北西の柱廊には二段の方形台座が並んでいる。19X2列の一部。
残りには上の白い石がないものも。
白い石には浅い円形の凹みが付けられているが、円柱よりずっと径は細い。
左端に小さな台座と玉縁があるが、他のものは同じ径のよう。一番下のドラムは、大玉縁と一緒に彫り出されている。
円柱が石灰岩なら、二段の基壇も石灰岩だろう。
この付近で咲いていた花についてはこちら

パサルガダエ(Pasargadae)1 要塞と拝火神殿
           →パサルガダエ(Pasargadae)3 キュロス2世の墓

※参考サイト
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトパサルガダエ

※参考文献
「ペルシア建築」SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「世界の大遺跡4 メソポタミアとペルシア」 編集増田精一 監修江上波夫 1988年 講談社
「図説ペルシア」 山崎秀司 1998年 河出書房新社 
「クロニック 世界全史」 樺山紘一他編集 1994年 講談社