お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年3月2日水曜日

ニサ4 発掘現場


⑯櫓状建物の柱廊玄関(The Tower like Building、TB、Tower Templeとも)の前室から⑰櫓状建物には行き止まりになっていて入れなかった。
『OLD NISA IS THE TREASURY OF THE PARTHIAN EMPIRE』は、櫓状建物は南複合体の中心的建造物で、南と北に小さな正方形の櫓をもつ。小さな東側の櫓は修復され、旧ニサの出土品の博物館として開放されている。建物の高さは15-16m、下階の2本の廊下は狭い窓によってかろうじて明かりがとれる。複数の研究者によると、台座の上には大きな彫像(パルティア帝国を築いたアルサケス大王かも知れない)または聖なる炎があったと推定されているという。
円柱横の通路から、
出土品の
通路を歩いていると、右手に何かあるらしい。
通路らしかったが、ここも塞がれていた。
結局は遺跡の外に出てしまった。
そのまま歩き続けると、発掘現場に行き着いた。
採取された土砂の中から小さな遺物を採取しているらしい。
土器片が集められていた。

発掘現場の北東より南西方向に写す。
旧ニサでは、神殿や謁見の間などを含む宮殿の見学をしたが、王や王家の居住空間というのはよくわからなかった。ひょっとすると、この新しく発掘された場所が王の私的な空間だったのかも。
それとも、一つ一つの部屋が小さいので、工人たちの仕事場兼住居かも。

北西より南東方向を写す。

この広場ようなところの一段下には穴がたくさんあいた長方形の部屋があった。
壁際にも穴。
壺を土に埋めて食糧などを貯蔵する部屋だったのだろう。

最後に見学した遺跡を眺める。

出口へ
そして城壁の外へ。

帰りに山並がかすかに見えた。コペトタグ山脈の続きかな。
絵葉書では、急峻ではないが雪を被った峰々が。



         ニサ3 正方形の広間と櫓状建物の柱廊玄関


関連項目
ニサ2 円形の広間と赤い広間
ニサ1 遺跡の狭い通路を歩き続けると

参考文献
「OLD NISA IS THE TREASURY OF THE PARTHIAN EMPIRE」 2007年 
「週刊シルクロード紀行14 メルヴ・アシガバード」 2006年 朝日新聞社