お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年3月23日木曜日

マスジェデ・イマーム(Masjed-e Imam)1


イマーム広場の南面に入口のあるマスジェデ・イマームは、主礼拝室の青いドームが目立つが、近付くと見えなくなってしまう。

『ペルシア建築』は、南辺中央には「マスジデ・シャー」のイーワーン状の門がある。
マスジデ・シャーは1612年に着工され、以来、シャー・アッバースの焦慮にもかかわらず、延々と工事が続き、ようやく1638年に完成された。このモスクは、ペルシアの一千年にわたるイスラム建築史の絶頂に位すると同時に、その威風と壮観によって、世界の最も偉大な建造物の列に加わるのであるという。
A:表門 B:前室 C:前室東回廊 D:前室西回廊 E:北東イーワーン F:中庭 G:北西イーワーン H:南西イーワーン I:南東イーワーン J:北西礼拝室 K:夏用の神学校 L:主礼拝室北脇礼拝室 M:主礼拝室 N:主礼拝室南脇礼拝室 O:冬用の神学校 P:南東礼拝室 Q:北東イーワーン東側廊 R:八角形天井の部屋 S:浄めの部屋
中庭にイーワーンが4つ造られたチャハール・イーワーン(4イーワーン)形式。

A:表門
同書は、まずメイダーンに面する表門を見ると、半ドームを伴った大アーチは高さが27.4m、その左右にそびえるミナレットは高さが39.6mに及ぶ。このイーワーン状の門は、これ自体がほとんど一個の建物で、さながら両腕をひろげた歓迎の抱擁とでもいうべき形を呈し、外なる人々を招き入れて、モスクの内なる静穏、安寧、蘇生の世界へと導いてゆくという。
二層構成のアーケードから、左右2面ずつ壁面が角度を変えながら門へと続いている。そのすべてがタイルで被われて、広場の日常空間から、モスクという聖なる空間へと変わることを示している。
外側の2面の一階にはアーチ門があり、それぞれ商店の連なる通路に入れるようになっている。その商店街の利益の一部分がワクフとなって、モスクの運営・維持などに回された。ムハンマドは商人だったので、契約や経営という理念がイスラーム教に取り込まれているという。
イーワーンにはの頂部の半ドーム形の曲面にはムカルナス、両側の二階の壁龕もムカルナスになっている。
イーワーンのムカルナス。ウズベキスタンで見てきたタイル張りのムカルナスとも違う。一つ一つのムカルナスに奥行がある。
ムカルナスを見上げる。イーワーン自体に奥行があり、個々のムカルナスが曲線的に編み上げられているような感じを受ける。あのティムールの眠るグル・エミール廟のムカルナス(サマルカンド、1404-05年)でさえこんなに深くはない。
イーワーンの縁にはトルコブルーの飾り綱のようなものが3本巡っていて、それは両側の大理石の花瓶から出ている。このような装飾の最初がどれかはわからないが、サマルカンドのビビ・ハニム・モスクの主門にも見られ、それは1本の太い綱である。
このような建築装飾もまた生命の樹かと思っていたが、『ペルシア建築』は花瓶と花茎(vase and shaft)モティーフと呼んでいる。

同書は、大アーチの奥の壁面に注目すると、扉口の左右を飾る2つのパネルが礼拝用絨毯のデザインを模しており、モスクの本質的な使命を告げているかのようであるという。
イーワーンは、花茎とされるトルコブルーの3本のケーブル・モールディングで縁取られている。
指摘されると、確かに絨毯にありそうな柄である。
壁面はタイルで被われているが、門は大理石。そして木の扉から中へ。
帰国後入手した『神秘の形象 イスファハン~砂漠の青い静寂~』(以下『神秘の形象』)という並河萬里氏の写真集で、内側には銀製の扉があることを知った。

B:前室
『ペルシア建築』は、この表門は広場との位置関係上、北向きに建てられている。しかし、モスク自体の軸線はメッカの方角へ(イランでは東北から南西へ)向かなければならないので、ぎこちない感じを避けるために、容易ならぬ調整が必要であった。前室の存在自体は珍しくないが、ここでは、それが八角形につくられている点が特徴で、要するに特定の向きを持っていない。したがって、この前室は建物の軸線を回転させるピヴォット(軸受)の役割を演じ、かつまた、力のこもった壮麗なる別世界へ通ずる入口を形づくっているのであるという。
入ると中央に石製の水盤が置かれていて、それと多くの人を避けるように進むので、八角形という印象は残っていない。
ドームは正方形から八角形、そして十六角形へと移行しているし。
その下には幅広の尖頭アーチ形の凹み(壁龕?)がある。きっとこれが左右にだけあって、その奥行分で床面が長方形になっているということだろう。
C:前室の東側廊
そして正面。本来ならここからE:北東イーワーンに行けるのだが、イーワーンの床が修復中なので、ガラスの結界で阻まれている。
何故主礼拝室の2本のミナレットがイーワーンの尖頭アーチ中央にすっぽり収まらないかというと、今いるB:前室から軸線の角度が変わっているから。

東北イーワーンに立ち入ることができないのでD:西の側廊へ。
平たいドームの架かる通路を通る。天井や壁面のタイルの一つ一つの形が見えるのは。絵付けタイルだから。マスジェデ・イマームには絵付けタイルとモザイクタイルによる壁面装飾があるが、詳しくは後日

F:中庭に出ると足場を組んでいた。
『ペルシア建築』は、中庭の正面にそそり立つ主イーワーンの前面壁や主礼拝室の大ドームが、その偉容と無上の色彩によって、圧倒的ともいうべき迫力を示すとすれば、他方で、穏やかな落ち着いた印象を与えるのは、中庭をとり囲む諸要素のリズミカルな反復であり、アーケードの対称的な配置や4つのイーワーンの完全な釣り合いである。また、広い沐浴用泉水の静かなたたずまいや、建物を覆う均等な配色の統一的効果なども見逃せないという。
残念ながら、中庭で行われている修復や、日除けの天幕のために視界は分断されていたため、全体的に見渡してそのような雰囲気を味わえる状況ではなかった。

右に朝散歩で裏側を見たG:北西イーワーンが、いきなり大きく迫ってくる。ここも修復中。そして、イーワーンの上には、朝散歩で見た監視塔のようなものが載っている。
これは、ゴルダステという、シーア派のアザーン(礼拝への呼びかけ)を行うところでした。それについてはこちら

H:南西イーワーン(主礼拝室のイーワーン)
昨日の金曜礼拝のための日よけの天幕だろうか、信徒さんたちへの配慮かも知れないが、良い写真が撮れない。中央の沐浴用泉水に水はない。
『神秘の形象』は、ミナレットの高さは約44m、ドームの頂点は地上約47m、およそ眼に入るかぎり、壁面はすみずみまで余すところなく彩釉タイル装飾でおおわれている。このような色彩の豊饒と洗練こそ、近世イランのイスラム建築の特質であるという。
ガイドのレザーさんは、日本の大学の研究者のガイドや通訳もしているという。あるとき来た研究者たちが調査でこのミナレットに登ったとき、彼も一緒に付いて行った。そして、余りの高さに目が眩んで死にかけたのだそう。
I:南東イーワーン
こちらのイーワーンにはミナレットがないため、低い印象を受ける。
E:東北イーワーンの内部。
『神秘の形象』は、イスラム建築の装飾意匠の核心的な存在だった各種の文様も、古くからのオリエントの抽象性をうけつぎながら、アラブの聖なる息吹きによって、いよいよ密度の濃いものにしあげられていた。幸いなことにササン王朝の文様の宝庫は、その展開に必要なモティーフを豊富に用意してきた。さらにササン王朝の工匠たちの装飾法は、幻想的なアラベスクの文様に対して、無限の文様の変化する線の創意を享受した。パルメットの連続状ヵは、リズミカルに転回しながら、螺旋形の幾何学文様のうちに没入し、荘重なクーフィック書体から流麗なナスタアリーク書体まで、文字の図案化の道が果てしなく続いたという。
床がタイル張りなのはこの礼拝室だけ。奥の入口内側に銀製の扉が写っている。

続いて反時計回りに各建物を巡っていった。

G:北西イーワーン
頂部から大きなアーチ・ネット状の装飾のある半ドーム。
J:北西礼拝室
ドーム
正方形の床から立ち上がった4枚の壁面から、ドーム下縁の円形への移行部。四隅の大きな2枚の蓮弁のような曲面で構成されたムカルナスと、1辺の中央にある尖頭アーチという8つの頂点と、それぞれの間に造られた小さな8つの尖頭アーチの頂点、合計16の頂点が直接円形を導いている。

K:夏用の神学校
一階建てのフジュラ(宿舎)が並び、その中庭には白い実をつけるクワの木が高く育っている。
朝散歩で外を歩いて廻った時に見たタイル装飾のある門は、この奥の方に付けられたものだった。
そしてフジュラの上からM:主礼拝室の大ドームとミナレット
ドーム下のドラム部を巡るコバルトブルーのインスクリプション帯。その中で黄色い文字はアッバース1世の名だという。アッバース1世は、本来はもっと長い名前で、それが総て書き込まれているのだとか。

F:中庭に戻ってきた。視界は妨げられるが、天幕の下は涼しい。

L:主礼拝室北脇礼拝室へ
奥壁には3枚のムカルナスで構成示されたミフラーブ。そして上には透彫の明かり取り窓。
青い防水シートの向こうでは、M:主礼拝室のドームに新たに貼り付けるモザイクタイルの小片を組み合わせていた。型に接している側が表面となる。ある程度の大きさにつくって漆喰で固め、それをドームに貼り付けていく。
これはドームを縦割りにした曲面。左(上の写真)が頂部になるので狭く、右向こうに向かって幅が広くなっている。
外に出ずにM:主礼拝室へ。

     イマーム広場1←    →マスジェデ・イマーム2

関連項目
シーア派はミナレットからアザーンを唱えない
サファヴィー朝のムカルナスは超絶技巧
イスファハーン、マスジェデ・イマームのタイル

※参考文献
添乗員金子貴一氏の旅日記
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「神秘の形象 イスファハン~砂漠の青い静寂~」 並河萬里 1998年 並河萬里・NHKアート
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版