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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年11月28日月曜日

タジキスタン民族考古博物館6 イスラーム時代


最後にイスラーム時代の遺物を見学。

壁画 10-11世紀 日本とタジキスタン共同事業による保存修復
と日本語でも書かれている。
ムスリムとなったソグドの民が、室内を壁画で装飾するという自分たちの伝統を保ち続けたかのよう。
上部:植物文様とアラビア文字(クーフィー体)が意匠化された文様 
蔓草文の上下には連珠文帯があるのがソグドの名残。
文字の間に組紐文が入っているが、このような組紐文はソグドにはなかった。
復元図
上の連珠文帯は2段だった。蔓草の文様帯だが、蔓草の隙間に表されたものは今まで見ないものだ。
文字の端が植物と化していたりして、独特の図案となっている。

下部:二弦琴奏者と竪琴奏者
これだけではほとんど何もわからない。
復元図
奏者が演奏するアーチの上には2羽ずつ青い鳥が留まっている。
奏者はソグド人の細長い顔ではなく、丸みがある。 テュルク系かな。
二弦琴奏者の左腕近くには文字が書かれている。すでにソグド文字ではなく、アラビア文字だ。
ミフラーブ 10-11世紀 浮彫 粘土 ソグド州アシュト
テラコッタでも、漆喰でもなく、粘土に文様を浮彫して乾かしただけ?
尖頭アーチの外縁に連なる半円の装飾を埋めるのは、そうは見えないが、やっぱり蔓草文様だろう。
中央の円形の枠の中には卍が入り込んでいる。

建築装飾 10-11世紀 プラスター
イヌ?
博物館の説明ではライオン。下の植物文とは繋がっていない。
トルクメニスタン、メルヴ遺跡に残るムハンメド・イブン・ザイド廟(12世紀)では、キブラ壁中央の小さな壁龕に逆三角形を並べた装飾がある。それは焼成レンガを切って文様に嵌め込んだものだが、陰影の効果を狙ったものと思った。
本作品が建物のどんな部分に使われたのかわからないが、彫りの深いものは同じような理由かも知れない。

イヌ?顎の側面にはたてがみ?となるとライオン?
かなり大きな建築装飾 焼成レンガ
切れ目が見えないので、これで1個。植物を、これまでに見たことがないような文様あるいは痕跡で表している。
装飾のある焼成レンガ
瓦にしては厚すぎる。壁面に貼り付けていたのだろうか。

ラクダに乗った騎士の絵 56X37㎝ 岩絵(花崗岩) 時代不明
大きな丸い岩の表面に7頭のラクダ-ヒトコブとフタコブが描かれている。それらの中の4頭に騎士が乗っているという日本語の説明があった。

ラスター彩鉢
人頭のヒョウ?このような丸い顔の描かれているラスター彩の陶器は、12世紀後半以降ではなかったかな。
外側の文様も面白いので写したが、ピンボケ

見学後に行ったのは、イスマイル・ソモニ像のある広場だった。

ところが、夕方だったので、タジキスタンの人々が尊敬しているイスマイル・ソモニの銅像は、日陰になっていた。
正面に回ったらもっと暗い。
ソモニ像の前の広場の向こうには、朝散歩で見たドゥシャンベ・プラザが見える。どうやら訪れた全てが、そこそこ近くにあるようだった。
ソモニ像の後ろ側に行くと、噴水がどこまでも続いていた。その先には、タジキスタンの国章を冠した尖塔が立っている。
ここでソモニ像を振り返ると、ソモニ像は日に照らされているが、後ろ向き。
その後は別の噴水の間を行くことになった。その先にはアーチが。そしてその下にはまたしても銅像が。
それはタジキスタンで最も尊敬されている詩人ルダーキー像だった。
しかも、このアーチ状のモニュメントは、ガラス・モザイクだった。
日が暮れてバスの車窓から見えたのは、ドゥシャンベ・プラザのライトアップだった。





関連項目
タジキスタン民族考古博物館4 ペンジケントの壁画
タジキスタン民族考古博物館3 ソグド時代の彫刻など
タジキスタン民族考古博物館2 タフティ・サンギン出土品
タジキスタン国立古代博物館1 サラズムの王女