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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年11月14日月曜日

タジキスタン民族考古博物館2 タフティ・サンギン出土品


次室はヘレニズム時代の展示室。
タフティ・サンギン(Takhti Sangin)遺跡の出土品が主なものだった。

アキナケス型剣の鞘 前6-5世紀(『偉大なるシルクロードの遺産展図録』では前5-4世紀) 角あるいは骨 高27.7幅11.0㎝ オクス神殿2号回廊北隅、地下4mより出土
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、この短剣の外形は、スキタイから前7世紀頃ペルシャに導入されたアキナケス剣型であり、ライオンの脚の筋肉、腹の毛並、鬣の意匠はスーサの彩色タイルの様式に類似している。ペルシャの工芸細工にはしばしば地方様式が強く見られるが、この鞘はペルシャ様式を取り込んだ小アジア周辺の作品を思わせるという。
様々な地域の様式が混じったこの作品は、小アジアから請来されたもの。さすがにシルクロードの要衝だ。
鞘の輪郭に巡る文様は、卵鏃文のようで鏃がない。それが段々小さくなって、鹿の角のあたりで消えてしまっている。
尾は肢の間を通って右腿の外側から背後に回っている。腰にはそれ以外に不思議なものが3つ付いている。右端のものは、牛の角のようでもあるし、植物のようでもある。
同書は、襟巻状の鬣が無く横向きの杯状の耳はペルシャ様式の変容であり、波打つ唇表現は地中海や黒海沿岸地域の特徴を示すという。
弱肉強食図なのか、鹿をライオンが守っているのか。
上腕部は筋肉の表現は様式化されているが、どこのものだろう。手首上にも妙な文様がある。ライオンよりも鹿の方がずっと自然な表現となっている。
『シルクロードの古代都市』は、もう一つのシーンは、鞘の下端の飾り(鐺、プテロールという)の部分に、ネコ科の猛獣とヤギの頭部が彫刻されており、全体がヤギの頭部に重点がおかれていて、猛獣の方はきわめて形式的であるという。
ネコ科の猛獣というのがどれを指すのかがよくわからない。ただ、ヤギの口から顎にかけての下側には、ライオンの右腿にある牛の角のようなものが、逆向きに表されているようにも見える。
ライオンの足下は組紐文になっていて、地面を表しているのかも。
側面から見た鞘。
実用品ではなく、儀式などの際に用いられたものだろう。

ヒッポカンポス様の剣鞘鐺(こじり) 前2世紀 象牙 6.7X11.8㎝
『世界美術大全集東洋編15』は、神殿址の地下4~5mのところから神殿への奉納品がまとまって発見された。
タフティ・サンギーンのこの鐺(こじり)は、ヘレニズムの中央アジア化ともいうべき特徴を示している。
疾駆する渦巻の前肢、空飛ぶ鳥の翼、水中を泳ぎ曲転する魚体、そして左手に櫂を持ち、右手掌中に丸い珠を握る女性の胸像、この奇妙な合成はほかに類をみない。ヒッポカンポス(馬と蛇体)、トリトン(人間と魚)、ニケ(女と鳥)の重ね合わせとも考えられよう。右手に掲げられている球は水中の火(フウァルナー)を象徴する摩尼珠であろう。翼の先と魚体に見える突起は青銅製の鋲である。女性の肩にかかる髪と身体の部分に代赭の痕跡が残っているという。
剣の鞘はあちこちの様式が混じった作品なら、こちらは様々な動物の身体の各部分を集合させたような作品だ。

これも剣の鞘っぽい。
アカンサスではない植物から2本の蔓草が伸びている。

恐らく剣の鞘 波状文が三方を巡り、下側は見たことのない植物文となっている。

別の剣の鞘
これも波状文。角あるいは骨製の剣の鞘が多く出土している。

グリフィン形剣柄 前4世紀頃 高10.7幅4.5㎝ 角あるいは骨
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、このグリフィンはギリシャ起源のマカイラと呼ばれる種の片刃剣の柄であると思われる。マカイラはその柄頭を猛禽の頭部に象ったものが一般的で、ダレイオス3世の頃にペルシャに導入されたと言われている。グリフィンには通常見られないこの長く伸びた鬣や末端が渦を巻く角に変容した弦は、前1千年紀前半以来のイランの伝統的な様式を受容した、バクトリア職人の手を思わせる。目の穴に貴石が象嵌されていたと想像されるという。
嘴に沿ってギザギザと歯が並んでいるのは猛禽らしいが、その歯が内部でも整列している。舌は透彫。

ヘラクレス風のアレクサンドロス大王像の柄頭 前3世紀 象牙 高さ3.3幅2.8㎝
同書は、奉納されたギリシア式の短剣(マハイラ)の象牙製柄頭に彫られた浮彫りで、青年アレクサンドロスの正面の顔が示されている。大きく見開いた目には眼球が示されず、眼差しは見る人の上方に向けられている。ライオンの上あごが額にかかり、その下あごはアレクサンドロスの兜の頬当てのように頬をおおっている。アレクサンドロスの頭の背後にはライオンのたてがみがなびき、胸には「ヘラクレス結び」で固定されたライオンの脚が見える。アレクサンドロスの顔はスコパス(前4世紀のギリシアの彫刻家・建築家)の場合のような円形ではなくて楕円形である。
アレクサンドロスがヘラクレスの生まれ変わりであるとの観念は彼の生前からあり、ヘラクレス風のアレクサンドロス像がコインにまで登場した。タフティ・サンギンのアレクサンドロス像は、イスタンブールの考古学博物館にあるシドンの石棺に描かれた像によく似ているという。
こんな風に拡大鏡で見ねばならないほど小さい。

サトラプまたは神官像 前4世紀末-前3世紀
『シルクロードの古代都市』は、下ぶくれの顔に黒くて長いあごひげを生やしている。頭には耳垂れつきの白いかぶりもの(キルバシアという)。耳垂れは肩まで達している。未焼成の粘土はしっくいを塗り、その上に指している。全体として黒色を多用し、唇は鮮やかに赤い。発掘者たちは当初アケメネス朝の総督(サトラプ)と考えたが、後に神官と考えるようになったという。年代もアケメネス朝かそれともヘレニズム時代か不明であるが、リトヴィンスキーはひげの扱いから見て、アケメネス朝時代の伝統をふむと考えている。結論として、この彫刻はゾロアスター教の神官像という。
ゾロアスター教の神官ならマスクをしているのではないかな。

男性頭部 セレウコス朝シリア時代(前3世紀頃) 粘土、着彩 高16幅12㎝ 
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、これはオクサス神殿の宝蔵から発見された塑像の中で最高の作行を示すもので、実物の半分の大きさにもかかわらず堂々とした大きさを感じさせる。青黒い髪の上にピンクの帯冠を被っているが、これはマケドニア系の王族の冠に相当する。これに類似したイタリアのヘルクラネウム出土の青銅製肖像や硬貨の肖像から、これはセレウコス1世を象ったものと考えられている。この冠の伝統はクシャン朝まで受け継がれて行ったという。 
ヘルクラネウムはイタリア語ではエルコラーノ。後79年のヴェスヴィオ山噴火による火砕流で埋没した。

支配者の頭部塑像 アラバスター、着彩、金箔 頭部の高さ131最大幅110㎜ オクス神殿6号回廊出土
同書は、少し年配の者の顔で、額はたいへん高くて平らである。頭には二筋になった広くて赤い冠帯を巻いている。発掘後の修理で判明したことだが、塑像の骨組みにはアシが用いられ、その圧痕が残っていた。塑像はアラバスター(雪花石膏)でおおわれ、その上から赤く塗り、金箔で飾られたという。
葦は中央アジアでも水のある場所でよくみかける植物。日本では木が用いられるが、木の少ない地域や、このような小さなものの骨組みに葦を用いていたことがわかる貴重な作品。

マルシュアス像付奉献祭壇 グレコ・バクトリア時代(前2世紀頃) 青銅、石灰岩 基壇高17幅13像高15.8㎝ 
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、青銅像はダブルフルートを吹くシレノスに象った小アジアの川神マルシュアスの姿で、バクトリアの川神オクサスを表している。台座の奉納文は「オクサス神にアトロソケスが拝して奉る」と読める。奉納者名”アトロソケス”は古イラン語で”聖なる火を崇拝する者”を意味し拝火教に深く関連している。オクサス神殿の宝蔵から発掘されたが、神殿が火と川を同時に祀ったことを示しているという。
なんとも分かりにくく写したものだ。
ダブルフルートを吹いている図は、他にもあったような・・・

タフティ・サンギン遺跡についてはこちら

   タジキスタン国立古代博物館1 サラズムの王女
                →タジキスタン民族考古博物館3 ソグド時代の彫刻など

関連項目
タフティ・サンギン遺跡オクス神殿
組紐文
タジキスタン民族考古博物館6 イスラーム時代
タジキスタン民族考古博物館5 仏教美術
タジキスタン民族考古博物館4 ペンジケントの壁画

※参考文献
「シルクロードの古代都市-アムダリヤ遺跡の旅」 加藤九祚 2013年 岩波書店(新書)
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」 2005年 株式会社キュレイターズ