お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年11月23日木曜日

スルタニーエのオルジェイトゥ廟(ゴンバデ・スルタニエ)


ザンジャーンから30数㎞東南東にスルタニーエという町がある。
高速道からも見える青いドームは、イルハーン朝のオルジェイトゥ廟である。
『ペルシア建築』は、ガーザーンの跡を継いだ弟のウルジャーイトゥーの治世(1304-16年)になると、その命によって、スルターニエの美しい広々とした牧草地に驚異の新都市が出現した。この都市は帝国の首府たるべく計画されたものである。着工は1305年、竣工は1313年のことで、建設工事は雄大にして、しかも迅速であった。結果として出現したのは、タブリーズとほとんど同じ規模を持つ大複合体であり、その中心部には、ペルシア建築の最高傑作の一つたるウルジャーイトゥー自身の墓廟がそびえ立っていたという。
かつては城壁に囲まれていた。青いドームのある建物の周囲に遺構が残っている。
『イスラーム建築の世界史』は、世俗権力者の廟は墓室を最も重視し、墓室に大きく高いドームを戴く。モスクや参詣者のための部屋などを付加し、複数の部屋をもつようになっていく傾向は聖者廟と同様だという。
朝早く行くと逆光。
『ペルシア建築』は、このドームは直径が24.4m、頂点の高さが地上53.9mに達し、外側は淡青色のファイアンス・タイルで覆われているという。
中にあった復元模型

外側からは三層構造。
そしてここで期待していたタイル装飾が早くも登場。
オルジェィトゥ廟のタイル装飾については後日
墓廟の周りをまわってみる。中途半端なところから写したため、付属のモスクの壁面が斜めになってしまった。
『ペルシア建築』は、墓廟は正八角形のプランを持ち、頂部に、美しい均整のとれた縦長断面のドームをいただくというが、近すぎてドームの形がわからない。
この面にはタイルがよく残っている。
軒にはモザイクタイルで飾られた二段のムカルナスが並び、短く残ったミナレットにもわずかに残る空色タイル。
そしてこの回廊の天井には美しい装飾が。
これはいったい・・・

平面図(『イスラーム建築の世界史』より)
『イスラーム建築の世界史』は、モンゴル族侵入後のペルシアにおいて、墓建築に多様な機能が盛り込まれ、本来ひとつの墓室のみであった墓建築が、複数の部屋をもつという新たな動きがおこる。
モンゴル族が墓廟都市を営むようになったが、君主の廟のうち現存するのは巨大なオルジェイトゥ廟である。内径25mのドームの周囲に8本の高いミナレットが聳える。実はオルジェイトゥは生前に自身の墓の建設を目論んでいたが、スンナ派からシーア派への改宗を機に、シーア派のイマームのアリーとフセインの遺体をイラクから運ぶことを企て、自身の墓から聖者廟への変更を計画する。それとともに、八角形のキブラ側に、長方形のモスクを付設した。しかし最終的には、遺体を運ぶことはできず、君主の墓に戻った。その点でこの廟はやや例外的な君主の墓廟といえるが、オルジェイトゥの墓が巨大なドームの直下、建築の中心を占める点は、多くの君主の墓建築と共通するという。
○数字はアーチやイーワーンの位置を示す。

現在では、見学者は墓室南西側から入ると、この浅いイーワーンのようなアーチの壁龕にはフレスコ画と思ったら、プラスターによる装飾だという(下に『ペルシア建築』の解説)。プラスターは漆喰でいいのかな。
オルジェィトゥ廟の漆喰装飾についても後日
『ペルシア建築』は、この墓廟は規模が雄大であるだけに、内部もまた迫力を持つ。すなわち、内部空間は-たんなる空虚ではなく、屋外の景観よりもはるかに濃密に演出された空間であり-宏壮にして、しかも威厳に満ちている。壁は厚さが7mにも達するが、重苦しさは感じさせない。高々と立ち上がる8つの大アーチが雄渾なリズムを刻んでいるからであるという。
そうは言うが、内部は足場が組まれおり、ドームまで見えない。
『ペルシア建築』は、「鉛直力と押圧力が比較的数少ない点へ巧みに集約されている」うえ、巨大なドームは「いかなる種類のバットレスも、ピナクルも、ショルダーも用いずに築かれた」もので、非凡な技術家の作と言える。
アーチとアーチの間の入隅は浅いスタラクタイトで充たされ、静かに溶け込むかのように、大ドームの円蓋基部へとつながってゆく。ドームはまるで空中に浮かび上がるがごとくで、その軽やかさと確かさはまさに天の穹窿を想わせるものがあるという。
全く見えません。
墓室の中に入ると、部分的にしか見えないが、8面の壁面にはアーチの上にもアーチのある二段アーチになっていて、足場さえなければ軽やかな大空間に身を置くことができただろう。上のアーチはイーワーンになっている。

平面図①のイーワーンはムカルナス(スタラクタイト)が明るく照らされている。
②の二段アーチ
尖頭ヴォールト状の天井には漆喰装飾が残っている。
⑦入口の上のイーワーンにもムカルナスが見える。
『ペルシア建築』は、内部の壁面は、当初、明るい黄金色を帯びた煉瓦で仕上げられ、部分的に小さな淡青色のファイアンス・タイルを嵌め込む方法で、角ばったクーフィー書体の大インスクリプションが表されていた。しかし1313年、この内装は変更され、プラスターを用いて再装飾された。変更後のデザインは多様で、レース状の大きなメダイヨンもあれば、モザイク風に彩色された植物文様もある。また神の啓示を伝える聖なるインスクリプションもあり、その起伏する文字は生き生きとしており、穏やかな流れるような律動を示すという。
ムカルナスはフレスコ画ではなく、漆喰で装飾されているのだった。でも1年で内壁を漆喰装飾で装飾し直すことができたのかな。
入口上のアーチにも壁面にもレース状の大きなメダイヨンがあった。

⑥南側のモスクのある二段アーチ。上のイーワーンからはムカルナスは見えないが、全体にタイル装飾が現れている。

モスクとの接合部から地下に入ることができる。
墓廟は地上階に柩を置くが、実際の墓は地下にある。
狭く天井も低い。しかも墓はすでにない。
しかし、この扁平な円蓋は、この旅行で見たものに似ている。それは、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ東南翼の61番のドーミカル・ヴォールト(セルジューク朝、12世紀)だった。

モスクのドームは四隅に小さなムカルナスを置き、8点星状の平たいドームを載せている。墓室の大ドームと同様に二重殻だろう。
南に3つの窓。それぞれ大きなムカルナスで頂部が飾られ、フレスコ画も残っている。
左窓上のムカルナス
ミフラーブ?
モスクの別の壁面にはタイルを貼り付けたような漆喰跡が残っている。

墓室の別の二段アーチの下の壁龕。入口のある⑦の装飾に似ているので、その対角にある③かも。

ガイドのレザーさんに連れられて上の階へ。
上り詰めた天井にムカルナスを二段に組んだ、深いドーミカル・ヴォールト。

二層目は天井の低い通路を出ると、高い天井の部屋に出るということの繰り返し。
そして外側に開口部はなく、墓室の大空間に向かって開かれている。
そこは墓室に向かって開かれたアーチがあった。二層目には8つのアーチがあり、それぞれが内部がイーワーンになった部屋で、平面図に付けた○数字の順にイーワーンを巡っていった。

① 漆喰装飾のムカルナスの頂部に、最初に造られたモザイクタイルがぞいていた。このムカルナスは地上階から見たものの一つ。
その壁面には浅い浮彫漆喰が残っているが、それが剥落して嵌め込みタイルの面が出ている。

次に二段の大きなムカルナスドームの小さな部屋。
頂部は漆喰装飾が剥がれ落ちてレンガが露出している。
実は、イスラムアート紀行さんのソルタニエ 土の建築なかの一点の木の美というページで、オルジェィトゥ廟の装飾に「埋め木」という技法が用いられているという予備知識を得ていた。
埋め木についてはこちら

低い通路を通り抜けた。

② 見事な漆喰装飾のアーチとイーワーンの内壁
この部屋に限らず、壁のあちこちに当初の壁面が見えるように「窓」があけてある。
12点星を中心にした幾何学文様や文様帯。ここにちらほら残るのはタイルの釉薬だった。この壁面は、空色や紺色の施釉タイルによるモザイク装飾があったのだ。
天井の高い開かれた部屋はこのように墓室に向かって開かれているが、修復中のため、残念なことに内側が見えない。
続く通路の向こうに大きなムカルナスが見えている。
ムカルナスは二段だった。イルハーン朝のムカルナスの特徴かも知れない。

③ 紺色嵌め込みタイルというよりも、もうモザイクタイル。
釉薬が剥がれたタイル面の色が赤みがかったものと白っぽいものがあって、それはそれで文様となっている。
レンガ色に見えるのは、紺色の釉薬が剥がれたため。

低い通路を通っていると、天井の文様が気になった。
今までは焼成レンガだと、気にも留めなかったが、この面白い天井は、立ち止まって見上げると、焼成レンガではなかった。漆喰にレンガに見えるように線を刻んでいるだけだ。でも、似せるなら、1枚のレンガの切れ目も入れないと。
そんな風に見ると、別の壁面もレンガ積みではなかった。漆喰壁にレンガに見えるように細工しているのだ。ソグドか他の信仰由来のシンボルを間に挟んで凝っている。
こいういのって、だまし絵ならぬだましレンガ?

④ モザイクタイルの壁面装飾のあるイーワーン
下の方は釉薬の剥離したモザイクタイル。浅いミフラーブは南を向いているのだろう。

またしても通路の天井や壁がだましレンガだった。
白い輪郭線だけだが、長手積みの両端が出て見えるように、X字形に描いている。

⑤ 頂部のムカルナスは浅く、サファヴィー朝期のように扇形があったりする。イルハーン朝時代にもあったのか。

次のムカルナス。
ここも様々な色に焼き上がったレンガに見えるように彩色しているのかな。
地震のために天井にひびが入った通路を長々と通って、
次の部屋の壁面が紺色嵌め込みタイルなのが見えた。

⑥ モスクの上のイーワーン
振り返って、墓室のタイル壁面と一緒に撮ったら中途半端。
下からはよく見えなかったが、剥がれてしまったタイル装飾の露出した部屋だった。
低い通路の次にあった天井は、ムカルナスではく、平天井に近いものだった。強いて言えば、ラテルネンデッケの応用かな。
四隅の三角形から見ると、天井板の区画一枚ずつ高くなっている。
この組紐付き幾何学形文様は浮彫あるいは線刻のテラコッタだろう。

⑦ 現在の入口のイーワーン
アーチもムカルナス天井も漆喰装飾が残っている。
微妙な凹凸と彩色がうかがえる。

長い通路を通って、またムカルナスドームの小部屋。ここもまた埋め木の装飾。

⑧ 漆喰装飾の残るイーワーン
幾何学文だけでなく、クーフィー体のインスクリプションもある。

大きなムカルナスのある小さな部屋。漆喰装飾もタイル装飾もほとんで剥落して、土台のレンガが見えている。

これが階段を登ってきた時に見えたドーム
ここからは更に上の層へ。
上り詰めたところに石の透彫
やっと外が見えた。
『ペルシア建築』は、外側のギャラリーを形づくる24区画(各辺3区画)のヴォールトは、入り組んだ幾何学文様を表わす彩色パネルで装飾されている。その文様は非常に魅力的であり、色彩もまた素晴らしいという。
続いて外に開けた三連窓のドーミカル・ヴォールトを見上げながら、二層目と同じく時計回りに回廊を見学。○数字は二層目と同じ場所で、それぞれ3つのドーミカル・ヴォールトがあるのだが、撮影した方向がそれぞれ違って、一貫性がないのが自分でも不思議。

①-1
遠くから見ると、花のような大小の文様が中央の「花」を中心に展開する。
ドームを支える斜行積の三角形壁面は、二層目の壁面にもあった小さな文様をちりばめたもの。
①-2
幅広の六角形の中に六角形、6点星が入る。赤い組紐によって幾何学的な文様が織り出されていくイスラーム的な装飾が目立つ。
①-3
中央の「花」の周囲に白っぽい小さな花が散らされる。その間には曲線的な組紐が互いに越えたりくぐったりを繰り返し、躍動感がある。

②-1
中心に8点星を置き、黄色を帯びた箇所が遠目に「井」字形に見える。
②-2
①-2同様、中央には凹凸をつけた幾何学文を置いている。6点星の周囲に6つの六角形。それぞれに円花文が置かれ、隙間には小さな花弁状の文様が散らされている。
②-3
②-1と同じ文様
この面の窓から北側のハマム(浴場)が見えた。修復作業が行われているらしく、数人の人の姿も。

③の回廊へ
二層目と違い、かなりの高さ。
③-1
中心の文様が異なるが、ほぼ②-1と同じ井の字形。
③-2
白っぽいインスクリプション帯による浅い8点星の中に、イスラームの幾何学文様が展開するが、その中に植物文が表されているので、華麗な印象を受ける。
他の天井は斜行積の三角形面が大きいが、ここではそれが小さくなり、代わりに両側に太い文様帯を構成する。
③-3
③-1と同じ文様

④-1
8点星を囲む組紐が六角形・八角形・5点星などを作っているが、それぞれの形が変則的。
剥落部分から焼成レンガ地がのぞいていて、この漆喰面が非常に薄いものだと気付く。
④-2
斜行積の三角面は形を崩している。それほど平らなのだろう。
12枚の花弁を開いた花のような文様が幾何学的に配される。
④-3
組紐で幾何学文様を展開していくが、ここもやや曲線的。白っぽい色彩の上に緑色が入って涼しげ。

⑤-1
見ようによっては十字形に見えるものと8点星が規則正しく並んでいる。
⑤-2
緑を帯びた12点星から組紐が幾何学文様をつくっていくが、それぞれが小さい。
⑤-3
⑤-1の色違い

⑥の回廊部の天井には漆喰装飾は残っていないか、修復前の状態。
⑥-1
⑥-2
⑥-3

⑦の回廊へ。
⑦-1
白い組紐がつくる10点星の中に花文が入り込む。しかも、上から見た花と横から見た花があって、その配置が規則的ではない。
⑦-2
六角形の中に六角形が入れ子になり、その中に6点星、更に円形とわずかながら高くなっていく。
⑦-3
⑦-1と同じ
三層目の華麗な漆喰装飾について詳細は後日

⑧の回廊は修復中。
⑧の回廊は立ち入ることができなかったので、もう少しで一周なのに、戻らなければならなかった。
三層目の回廊には石の透彫の欄干が巡る。
付属建物の遺構も見下ろせる回廊もあった。
しかし、うっかりしていて、モスクのドームを見るのは忘れていた。

そして、忘れてはならないのは、オルジェイトゥは、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)西翼に小礼拝室を造った。そのミフラーブの浮彫漆喰による装飾は、自身の墓廟の装飾とは全く違っていて、こちらも見事なもので、「オルジェイトゥ(ウルジャーイトゥー)のミフラーブ」と呼ばれている。


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関連項目
オルジェイトゥ廟の漆喰装飾3 華麗なるドーミカル・ヴォールト
オルジェィトゥ廟の漆喰装飾2 埋め木
オルジェィトゥ廟の漆喰装飾1 浅浮彫とフレスコ画
オルジェィトゥ廟のタイル装飾
マスジェデ・ジャーメ オルジェイトゥのミフラーブ

※参考サイト
イスラムアート紀行さんのソルタニエ 土の建築なかの一点の木の美

参考文献
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「ペルシア建築」 SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会