お知らせ

中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年3月16日木曜日

イスファハーンで朝散歩


イスファハンかイスファハーンか、それともエスファハンあるいはエスファハーン?
現地ガイドのレザーさんがイスファハーンと言っていたのでイスファハーンとしておくが、レザーさんは日本に留学したこともある人なので、日本人に分かり易い発音にしているのかも知れない。
イスファハーンは大きな街である。予定に入っていないサレバン・ミナレットなどを朝の出発までに見ておきたいと思っていたが、所要時間がわからないので、今朝は歩ける範囲を散歩することにした。
Google Earthより
取り敢えずイマーム広場当たりをめざすことに。
Google Earthより

ホテルの前は狭い通りで、並木は鈴掛の大木だった。この先へ
広い交差点もまだ車はあまり通らない。
ここでオスタンダリ通りを西側の歩道を北上していく。
Google Earthより

通りの東側に妙なものを見つけた。渡ってみると、地下駐車場らしい。
その南側にはパン屋。
厚かましく中に入って写させてもらった。右奥の窯で平たいナンを焼くらしい。
パン屋のすぐ北の通りは水路があるが、イマーム広場から外れてしまいそう。
駐車場の向こう側に行ってみた。
通りを写そうとすると、白い乗用車がやって来たので除けようと待っていた。
すると、停まったかと思うと若い女性が声を掛けてきた。どこから来たの?
日本と答えると、急いでいるからと走り去っていったが、何故私が異国の人間だとわかったのだろう?コート(昼間は暑いが朝は寒い)のフードを被っていたし、何よりも花粉症のためマスクで顔を覆い、遠近両用メガネをかけていたので、私の人相はわからないはずなのに・・・どんなに隠しても、深目高鼻のイラン人から見ると、平らな顔族はすぐに見分けられるのだろうか?
大通りよりもこの中の狭い通路を散歩してみることに。
その続きの東西の通りには2-3階建ての住居が並んでいた。
この先で縦の通りがありそうなので行ってみたが、袋小路だった。その一角を撮影して、戻って行った。
それにしても各建物はそれぞれデザインが違っている。
中には柱頭などペルシア風の装飾を採り入れたものも。

次の通りは通り抜けられるか奥を見ていると、右側の建物が道路に向かって傾いているように思えた。
これは確かめねばと近付いたが、傍ではその傾きがわからなくなり、通り過ぎて振り返ると、少なくとも2つの面が下から上に出っ張っていた。窓の柵も斜めになっていて、えらく凝った建物だった。
ふと明るい方を眺めると、大きなドームのシルエット。
ドームに吸い寄せられて歩いて行くと、日干レンガの家が。
その別の面。今でも住んでいる人がいるみたい。この界隈は新しい家が多いが、以前はこんな風情ある家々が並んでいたのだろう。

前方にさっきのドームが朝日に染まっていた。
その向こうにはタイルに被われたドーム。きっとマスジェデ・イマームのものだろう。

行きたいが、道は迷路のよう。SADAT 1st BLIND ALLEY、ここも行き止まり。
入ってすぐ左にも通路が続いている。
光が漏れているところはというと、やっぱり行き止まりだった。
通りに出て先に進むと。またトンネル状の通路が。
その向こうにはあのドーム。
SADAT 2nd BLIND ALLEYとあったが、向こうに車が駐まっている。


通り抜けるとマスジェデ・イマームの裏側に出た。これが街歩きの醍醐味。
このドームは南東礼拝室のもの。多分全面がタイルで覆われていただろう。
ツアーの見学では見られない方向からのモスクの外観。タイルに覆われている方のドームが主礼拝室。
マスジェデ・イマームについては後日。
イーワーンのタイル装飾。あまり古くはなさそうだが・・・
アーチ・ネット状の半ドーム。
菱形の中は壊れた絵付けタイルを嵌め込んでいる。しかも模様は繋がっていない。呼び継ぎというか、修復前のタイルの破片を適当に集めたような。
木の扉は風情があるが、ウズベキスタンて言わず、中央アジアでは一般的な浮彫装飾の施された扉とは異質なものを感じる。
モスクの外壁に沿ってこの狭い通路を抜けると、
日が当たらず色の冴えない壁面とその先にドーム。
あいにく修復中で足場が組んであるが、文様は見える。デザイン化された白い蔓草文と黄色い菱文が組み合わされている。
真下からドームを見上げるが日陰なので冴えない。下の透彫の窓のあるところが、多分ミフラーブ。
通り過ぎてドームを見ると、タイルを張り替えているところだった。
朝早いので働いている人はいない。
角に全面タイルで装飾された門があったが、ここも閉まっている。

広場の方に回って見ると、逆光でよく見えない。
北西イーワーンと礼拝室。イーワーンの門構えの裏にある小さな小屋のようなものは何だろう。監視塔?
シーア派は、ミナレットではなく、この小屋からアザーンを行うことを、後日知りました。それについてはこちら
奥のミナレットは表門のイーワーンのもの。

そろそろホテルへ帰らないと。日干レンガの壁を左手に歩いて行くと、
その先で壁が切れ、道が合流した。さきほどの日干レンガの壁は、2本の道に挟まれた狭い建物だったのだ。これも住居らしい。
オスタンダリ通りに出て来た。
バスの通過を待って通りを西に渡る。
来る時に中を撮影させてもらったパン屋。
このまま同じ道を戻るのも面白くないなと思っている時に、ちょうど水路を見つけた。
橋を渡ってみたりしながら、歩き続ける。
川が湾曲して川沿いの道もなくなった。
そのまま南に通じる小道を辿ると、ホテルの近くに出てきた。ホテルの隣に行列ができているので、何かと思ってのぞきにいくと、ここもパン屋だった。
少し厚めの四角いナンを焼いている。

無事ホテルに戻って朝食。もっと食べたと思うが、意外と少食かも・・・
黒いのはナツメヤシ、必ず食べた。白いのは山羊のチーズ。多分隣のパン屋のナン。たっぷりのヨーグルトには2種類のジャム(柿色のものはニンジン)


        フィン庭園←      →イマーム広場1

関連項目
シーア派はミナレットからアザーンを唱えない
マスジェデ・イマーム(Masjed-e Imam)1

※参考文献
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版