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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年4月24日月曜日

マスジェデ・ジャーメ4 東翼


東イーワーンは、マスジェデ・イマームの中庭にセルジューク朝期(12世紀)に造立されたチャハル(4)・イーワーンの一つ。
礼拝室の列柱廊は見学しなかった。

中庭の回廊はイル・ハーン朝期(14世紀前半)に二階建てとなったが、東イーワーンの両側一対だけ少し高くなっている。
立面図(『GANJNAMEH7』より)
イーワーン内にはムカルナスが2段ある。

イーワーンの南北両礼拝室はイル・ハーン朝期(14世紀前半)に建て直された。
その二階南側。内部は扁平な弧から中央の尖頭アーチが立ち上がり、それを木製の梁が支えている。等間隔で4つ並んでいる。

イーワーンに行く前にその北側の通路へ。
ティムール朝時代(15世紀)に被覆された中庭に面した回廊のタイルは、蔓草文などはモザイクタイル。文様帯は、モザイクタイル風だが絵付けしたタイルを使い、地の焼成レンガと、細い線のトルコブルーのタイルとを組み合わせている。

平天井というには少し曲面のようにも見え、ヴォールト天井にしては平たすぎる。
その南壁に浅い龕があり、簡素だがモザイクタイルの装飾がある。
130 サファヴィー朝
その先で通路は少し広がってヴォールト天井になり、ムザッファル朝期(14世紀後半)に造られた神学校の中庭に繋がっている。しかし、神学校は修復中で、見学することはできない。
通路を戻っていると尖頭ヴォールトからイーワーン内部が見えたが、ガラスで仕切られているので、中庭に回ることに。
このヴォールトは、上部が神またはカリフの名前の文様化したものが連続し、下方は変形十字形が互い違いに積み重なっている。
外側にはガラスで保護された大理石製の付け柱があった。同じような斜線や直線の組み合わせでも少し違っている。

東イーワーン左壁
浅い龕の尖頭部分には幾何学文、下のインスクリプション、そしてその外側の文様帯のどれもが素焼きレンガで、色タイルは使っていない。
尖頭アーチ部分は、ロセッタ(変形六角形)が10点星を囲み、それが大きな文様の1単位とすれば、それを上下で互い違いに配置した隙間に、2つのロセッタを嵌め込んでいる。それらは素焼きレンガを形に刻んだもので、隙間の漆喰には、それぞれ文様を浮彫にする。
インスクリプション帯にも漆喰で何かの文様を造っていた痕跡がある。

イーワーン外面には色タイルは使っておらず、素焼きレンガの凹凸や、長辺に付けた小さな刻印の配置で神やカリフの名前をなし、繰り返して並べている。
ムカルナス架構を見上げると、一つ一つのムカルナスに幅があるし、下段奥には円に近いムカルナスがある。それはサファヴィー朝に特徴的なもではなかったのかな。
『GANJNAMEH7』は、オリジナルのものはなく、サファヴィー朝に帰せられる。ヒジュラ暦1112年(後1700年)の銘があるという。
道理で、精緻なモザイクタイルに覆われてはいなくても、イマーム広場のマスジェデ・イマームマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーのムカルナスの雰囲気があるはずだ。
ムカルナスは素焼きレンガを精密に積み上げているが、南イーワーンなどとはどことなく違う。
三方を巡るインスクリプションの帯は絵付けタイル。
インスクリプションの帯の上の中央のムカルナスの下は平天井の部屋のようなものがある。この突っ支い棒で天井を支えている空間は何だろう?
その下にはキブラ壁でもないのにイーワーンのようで、縦長のムカルナスが4段造られている。
ではこの細長いムカルナスはオリジナル?他のイーワーンで見てきた壁面とは違うような・・・
拡大してわかった。セルジューク朝のものはレンガの隙間に漆喰などの間地が見えないが、サファヴィー朝のものはこのように見えている。そのような精密さが欠けているのだ。
このイーワーンの外縁はインスクリプション帯となっていて、隙間にはイスラーム的な文様が入り込んでいる。
南壁にはこんな壁面があった。
これが1112年と記されたインスクリプションかな。確かにサファヴィー朝っぽい植物文様が文字の間に描かれている。
その右隣の壁龕。これがミフラーブとは思えない。
続いて、壁の中から露出する古い時代の円柱。アッバース朝期のものだろうか。


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関連項目
マスジェデ・ジャーメ チャハール・イーワーン
マスジェデ・ジャーメ2 西翼
マスジェデ・ジャーメ1 南翼


参考文献
マスジェデ・ジャーメの説明板
「GANJNAMEH7 CONREGATIONAL MOSQUES」 1999年