お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2016年9月26日月曜日

ブンジカット(パンジカット、カライ・カフカハ)遺跡


イスタラフシャンの町を南に抜け、

一度郊外に出る。
そしてシャフリスタンという集落に入り、橋を渡って何故か水のない川の中を走行。
やっと地上に。

まもなく到着。あの丘の上にブンジカット遺跡があるという。

ブンジカット遺跡はイスラームの進出で滅んだソグド人の町。
Google Earthより

① 墓地
上から見下ろすと、車の駐まっている地上と斜面の間に、でこぼこしたところがあるのがわかる。
そこからゾロアスター教徒の骨蔵器、オッスアリがたくさん出土したという。

ロマさんはシタデルの方へのぼっていくが、あと2人のガイド、サングラスのジャムシェットさん、小柄なサイードさんたちは、我々の疲れをいやすためか、こんなポーズをとって和ませてくれる。
この3人はそれぞれ大学で教えている(教授とは言わなかったが)研究者なので、適当に仕込んだ知識ではなく、それぞれの専門に応じた事柄を、素人の我々に分かり易く説明してくれるのだ。
タジキスタンでは平均の月収は6万円くらいで、それだけでは生活できないので、専門知識を活かしたサイドジョブをしているのだという。

一番奥のジャムシェットさんのいる辺りが、高台にあるシタデルの西端にあたり、最も高く残っているところ。

② シタデルの遺構
王の居城
シタデルは思ったよりも広い。
上空から見ると建物跡だとわかるが、シタデルにいると逆にわかりにくい。

3つの穴が並んでいたり、
建物の壁で視界が遮られたり、
北側が最も高い。
これがシタデル南端の東西に長い壁かな。
その東端はでこぼこしている。
シタデルの縁を巡っていくと建物跡らしきものが。
一定間隔でスリットが並んでいる。
その次の建物跡。
柱っぽいものがのぞいている。
見張り塔も。



シタデルの西端で説明を聞く。
ブンジカットは、タジク語ではパンジカットと発音する。パンジは「5つの」という意味で、5つの地区から成る遺跡という意味だという。そのうち4つまでが現在発見されているという。

④ 城壁
シタデルとシャハリスタンを護っている。
⑤ ラボット 
農耕地。農民は⑤ラボットで仕事をして、③シャハリスタンに帰って寝る。

③ シャハリスタン(と言っていたが、一般にはシャフリスタンで主市街区)と後方に城壁
城壁には一定間隔で見張り塔があった。
⑥(全体図)のガルニゾン(兵士の駐屯地)から狼煙が上がるのを見て城門を閉めた。
シャハリスタンには兵士の家族や農民も住んでいた。

⑤ ラボット(ラバト、一般に周辺地区を差すが、ここでは農耕地)
城壁の向こうに広がっている。 雨水が十分あったので、川の水にたよることなく農耕が可能だった。
城壁の続きのようなところに建物跡?
狼煙台だったらしい。

⑥ガルニゾンはここからは見えない。

⑦ 北側の円錐形の小山はゾロアスター教の風葬?の場所だという。
岩の斜めになった層があるが、自然にできた山なのだろうか。
頂上には人の手が入っている。
Google Earthでもはっきりわかる。

遺跡から下りて、オッスアリが出てきた墓坑群を眺める。
石や厚手の土器片が積み上げられている。

ブンジカットの町は、西から攻めてきたアラブ軍が川向かいに陣取ったため、数日で水がなくなり、川に水を汲みに行って殺された。
その後町は復興せず、その時のままの状態で現在に至っているという。

遺跡を出発してしばらくして川が見えてきたので後方に目を遣ると、シタデルや城壁が見えた。
右端にはシタデルからも見えた見張り塔。

残念ながら、ガルニゾンはよくわからなかった。

   イスタラフシャン2 コク・グンバズ・モスク
                  →シャフリスタン・トンネルを抜けると絶景が待っていた

関連項目
イスタラフシャン1 ムグ・テパ遺跡