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イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2017年5月25日木曜日

ヤズド ゾロアスター教神殿(アータシュキャデ)


ヤズド市街地南部に、ゾロアスター教の神殿(アータシュキャデ)がある。
Google Earthより

ゾロアスター教寺院(アータシュキャデ)
『図説ペルシア』は、ペルシア帝国の民族宗教。その興った年代については、紀元前16-13世紀、同9-8世紀、同6世紀など諸説あるが、古代ペルシアの時代からの深く広い影響の跡が見られる。アケメネス朝では神の象徴として、その地上での代理人、王権と深く結び合わされ、ササン朝では国教として、王はその神権を有する専制者であった。
火や光を崇拝し、光と善の最高神アフラ・マズダを唯一神とする。そこから拝火教ともマズダ教ともいわれる。世界はこの善の神アフラ・マズダと、悪の神アーリマンの対立抗争する場所であり、死後と世界の終わりにその審判が行なわれる。ササン朝滅亡と共にイスラム教に迫害され、中央アジアに拡散した。伝播したインドではファルシー、中国では祆教、日本では拝火教と呼ばれている。
ヤズド州には1300年ほど前からゾロアスター教徒が住みつき、現在も信徒の多い地域の一つ。この寺院は、ヤズドでも最も重要なゾロアスター教寺院の一つで、インド、中国からも参拝者が多数訪れているという。
小さな建物だった。
一般に有翼日輪と呼ばれているアフラ・マズダ神の象徴。
レザーさんによると、手に黄色い輪、腰にも大きな輪、そこから前に出た黄色いしっぽは善い神で、天国へ導いてくれるが、後ろの黄色い尻尾は、教えを守らなかった人を地獄へ引っ張る悪い神だという。
神殿には1550年間聖なる火が燃え続けている。
しかし、ガラス越しなので、反射して非常にわかりにくい。
すると、レザーさんがカメラを取って、ガラスに当てて写してくれた。なんと、聖なる火が置かれた部屋の様子まで分かる写真だった。
レザーさんは言う。大司祭3人が交替で奥の部屋にいて、炎が消えないように見守っています。薪はアーモンドの木で、長い時間燃え続けます。

前室は博物館のようになっていて、アヴェスター教典も幾つか展示されていた。
同書は、教典『アヴェスタ』は、ササン朝アルダシール1世時代に収集されたが、すでに死語となっていたこの古代教典に対して、口語パフレヴィ語による翻訳や注釈が行われ、ササン朝後期には、その神学が樹立されたという。
これがパフラヴィ文字なのか、アラビア文字と同じペルシア文字なのか見分けられない。

ゾロアスターの肖像画。
ゾロアスターがどんな人物だったかについて、ペルシア語だけでなく英語の説明もあった。
ペルセポリスつぽい建物の中に聖なる火が安置された絵も。
向かって右がゾロアスターのようだが、左は誰?

小さな写真がまとめて並んでいた。どんな行事なのかわからないが、ゾロアスター教徒について知ることはほとんどないので掲載しますが、それが何を表しているのかは定かではありません。
夜明けの太陽に礼拝する場面?
夜、神聖なる火(焚き火)を囲んで礼拝している。
朝日に向かって礼拝している。
死者を悼む行事?
ゾロアスター教では皆平等という。
感謝の儀式?
儀式ではなく、ゾロアスター教徒の催しの一部だろう。
ゾロアスター教徒の子供たち
ゾロアスター教徒の食べ物
特に何を食べてはだめという話は聞かなかった。
他にもナッツや香草を盛った大皿、小皿をのせたテーブルがあり、その脇には白い衣服と白い帽子の少年の人形が立っていた。それが入信儀式を済ませた姿だったのに、ビデオにしか写していなかった。
ゾロアスター教徒の女性
同じく男性
ゾロアスターの肖像のあるお守り?

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※参考文献
「図説ペルシア」 山崎秀司 1998年 河出書房新社