お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年4月5日土曜日

サントリーニ6 火山島ネア・カメニ2


ネア・カメニ島の成り立ち(リーフレットより)

図1
ネア・カメニはまだ海の中。
パレア・カメニの方は後46-47年に海上に現れた。
図2
ネア・カメニは1570-73年の噴火でやっと小さな島(ミクリ・カメニ)ができた。
図3
ネア・カメニが現在の形になったのは1950年。

標高127mのD地点から下山開始、16時。
リアツィカス噴出口の口縁部を道が取り囲んでいる。登りとは別の道を通ろう。
足の速い若者たちは、水着のまま。サンダル履きで大丈夫?
こちらはやっとここまで下りてきたというのに、火口の向こうに去っていく彼らがいた。
見ようによってはすごい登りが待っていそうだが、それほどではない。
次の噴出口。
この時咲いていた唯一の花は、キク科の黄色いこの種類だけだった。
ネア・カメニ島とサントリーニ島の間の海は、船がどんどん往来する。
白いクルーズ船を手前のフェリーが追い越して行く。
こんな風に撮ると、火口湖のよう。
登りでは気づかなかった溶岩の上にカモメが留まっている。
その下には、なんとなく羊ちゃんを思わせる岩も。
ネア・カメニの海岸に押し寄せた溶岩流のよう。
登りでは見えなかった浅い噴出口跡。
火山らし色彩。
エリニア港が見えてきた、16時27分。ギリギリだった。
サンダル履きの若者の中には、下りで尻餅をついて、水着が赤く染まっている人が少なからずいた。
帰りの船はやや遅れてやってきて、一番向こうに着けている。たくさんの船がいるので、船から船へと渡っていく。
帰りの方が断崖に日が当たって、地層がよく見える。
着色したように赤い層。
サントリーニとネア・カメニの間の海。

3時間の火山島ツアーは無事終了。
のんびりと下船したら、テレフェリクは長蛇の列だった。

     サントリーニ5 火山島ネア・カメニ1
                       →サントリーニ島7 アクロティリ1

関連項目
サントリーニ1 クレタからサントリーニへ
サントリーニ2 イアに夕日を見に
サントリーニ3 ネア・カメニへはフィラから
サントリーニ4 パレア・カメニ島の海中温泉
サントリーニ8 アクロティリ遺跡2
サントリーニ9 アクロティリ遺跡3
サントリーニ10 アクロティリ遺跡4
サントリーニ11 アクロティリ遺跡5

※参考文献
「地球の歩き方A24 ギリシアとエーゲ海の島々」 2013-14年版 ダイヤモンド社 
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版