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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2015年11月26日木曜日

カラカルパクスタン2 トプラク・カラ遺跡1


続いてトプラク・カラへ。

『埋もれたシルクロード』は、ホレズムも、1世紀以後南アジアの各地で見られる盛んな商品流通とある程度関連していた。古代ホレズム諸都市の廃墟からは、輸入されたエジプトのベス神像や黒海北岸のギリシア諸都市でつくられたと思われるビーズ玉が発見された。しかし主要な交易路は、当時の文明世界の北方に忘れ去られているホレズム・オアシスを避けて通っていた。それだけに、古代ホレズムの王宮址であるトプラク・カラはいっそう強烈な印象を与える。これの建設には明らかに多くの労力と資力が費やされたにちがいないのである。
トプラク・カラは、ホレズムの基盤におけるバクトリア的形式の表現であるかのようである。このプランと建築上の特徴を形成する上で、無名の多くのホレズム建築家が活躍したにちがいない。1世紀、かれらの構想によってホレズム右岸にこの新都市が出現したが、それは当初から首都として構想されたと思われる。シャーナーメ(王書)の一主人公はまさにそのように行動している。
 勇士がその国につくやいなや
 高さと幅それぞれ2ファルサフの見事な都市を建設した。
 それには広場、宮殿、菜園、果樹園がついていた。
 そして工匠を招いて、王の戦闘と饗宴の図をその宮殿に描かせた。
現在、トプラク・カラ都城址は、平面図で見ると、城壁でかこまれた350X500mの矩形をなしていた。城壁には一定の間隔ごとに、多数の矢狭間のある直角の塔がつらなり、都市の中央には幅約10mの大通りが走っていた。そこから直角をなして横の小路が通じ、都市をいくつかの四角な区域に分けていた。都市のこの居住区域とは対照的に、トプラク・カラの北部に3つの塔をもつ内城がそびえていたという。
3つの塔というのは、復元図の左上隅の3つの角塔のことらしい。

今回も、『古代世界の午後』さんの古代ホラズムの遺跡一覧から引用させていただくことにする。
古 代ホ ラズム王国首都トプラク・カラ遺跡
座標41.928368,60.822372(41°55'40"N   60°49'18"E)
上記Kz'il-karaの東1.3km地点
Scale 200m


平面図と復元図がユネスコ資料に掲載されている。2-3世紀に建設され、6世紀以降まで存続した(The Karakalpaksの記事はこちら)。

この図で見る限りで遺構として残っているのは、かなり崩壊した四方の城壁と北西隅の一角、つまり、3つの塔をもつ内城部分で、ここを見学したのだった。


『埋もれたシルクロード』は、都市の隅に、高さ12mの台地に支配者の宮殿があったが、、それは事実上防備のある内城であった。宮殿の主要部分は6400㎡の四角形をなしていた。その外壁は突き出た扶壁の列によっていくつにも分けられていた。それが垂直に高くのびている状態は、宮殿=内城を一般市民の家屋の上に高くそびえさせようとする意欲を示していた。しかし時代とともに、この建築方式は東方の絶対君主を満足させなくなった。そこで才能ある建築家たちは大胆な新解決を見出した。すなわち既存の内城=宮殿に、それぞれが40X40mの3つの巨大な塔を付加したのである。これらの塔は今では崩壊して高さ25mになっている。このようにして、全建物群は比類のない高いシルエットを形成し、ホレズムの地の「不思議な都市」の景観を飾っている。
内城=宮殿の内部にはさまざまな部屋がつくられた。全体のシルエットが3つの塔を築くことによって規定され、閉ざされた範囲内でさまざまな建物をもっとも合理的に配置することだけが残されていた。その結果、全宮殿が多くの部屋をもつ巨大なひとつの建物であるような観を呈し、豪華な大広間、生活するための部屋、作業場などをともなう複雑な迷路を形づくっているという。
実際に見学していくと、

内城の北西側の塔(塔Ⅰとする)の東側から高さ12mの台地へ登っていく。前方にヴォールト天井の部屋が3つある。内城の部屋になる。
ある程度登ると左手には棒が等間隔で突き出た壁面に囲まれたような窪地があった。その向こうの盛り上がりが北東側の塔(塔Ⅱとする)ということになるのかな。
その間の通路を進むと、
先ほどの突き出た棒の列のある壁面が間近に。
The Karakalpaksに添付されている内城の平面図(Rapoport&Nerazik,1984)によると、これは塔の壁面ではなく、3つの塔とその間にある部屋などの周囲を巡る土台の壁面であるらしく、突き出た棒は、もっと分厚い、しっかりした壁面が建設されていたことを示している。
そしてその上には塔Ⅱ。
上の方では日干レンガの一つ一つがまだ分かるが、下の方では殆ど土の層と化している。
遠のくと塔Ⅱの南面が現れ、内部がのぞいている。
平面図にあるように、倉庫のような細長いヴォールト天井の部屋が並んでいる。

平らで大きな空間に出た。向こうに見える山のようなものが、3番目の塔(塔Ⅲとする)。
塔Ⅲに向かって進むのではなく、日干レンガの壁の外側へ。

凹凸のある東壁に沿って進むと、
部屋のような大きな窪みと突き出した壁で終わる。
その向こうには区画のある斜面と塔Ⅲ。

そして、先ほどの壁面の南側には、4つの尖頭壁龕が並んでいた。
The Karakalpaksにはこの壁面のある部屋を諸王の広間とする平面図(Rapoport&Nerazik,1984)と、諸王の広間の南側の間とするDavid Richardsonの実写に説明をつけたものとがある。
『埋もれたシルクロード』は、「諸王の広間」と名づけられた面積約280㎡の細長い部屋がある。この広間の壁は、黄色い地と青い地に赤い花白い花を描いた壁画でおおわれていた。ここには焼かれない粘土で、花と果実の花綵の形でつくられたレリーフもあった。壁に沿った高い台上には彫刻群がつらなっていた。これは今日、塑像の破片として伝わっているという。
この壁龕については記述がない。これが諸王の広間なのか、この奥の部屋のことなのか・・・
手前の土の盛り上がりは、当初の壁、つまり部屋の仕切りだったのかな。
その南側の部屋は広く、平面図の諸王の広間にあたるのではないだろうか。

塔Ⅲに至るまでにも部屋がたくさんありそう。
トプラク・カラ宮殿の北壁と東壁を眺める。

塔Ⅲの方から塔Ⅱ方面を眺める。
振り返って西壁の痕跡

塔Ⅰと、2つの塔の間にある部屋を見渡す。

少し右へ目を移すと、
勝利の広間、戦士たちの広間、玉座の広間、そして踊る仮面の広間と続く(The KarakalpaksDavid Richardsonの実写に説明をつけたものより)。
手前のL字形の部屋には二重に大きな円形を彫ったものが並んでいて、David Richardsonの実写に説明をつけたものでは円の広間と呼んでいる。

この円の広間に行ってみたい。

       カラカルパクスタン1 アヤズ・カラ遺跡
                        →カラカルパクスタン3 トプラク・カラ遺跡2

※参考サイト
古代世界の午後古代ホラズムの遺跡一覧
The Karakalpaks
ユネスコのAncient Khorezm

※参考文献
「埋もれたシルクロード」 V.マッソン 加藤九祚訳 1970年 岩波書店