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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2015年11月4日水曜日

カリャン・ミナレット


西の端からブハラの遺跡や遺構を見学していき、⑤アルクまでで午前の部は終了。

アルクの城壁からカリャン・ミナレットは遠望するにとどまった。

午後、個人的にサーマーン廟をもう一度訪れ、そこから旧市街見学の集合時間に間に合うように東へ東へと向かって行った。

⑤アルクの南東壁の崩れた箇所から崩壊したままの状態が露出している。

集合場所の⑦カリャン・ミナレットは、当たり前のことだが、近づくにつれ、見えにくくなっていく。

⑥カリャン・モスクの北壁が、
続いて西壁が見えてくる。

東隣のミリ・アラブ・メドレセも含めて、この辺りをポイ・カリャン・アンサンブルと呼ぶらしい。


カリャン・ミナレット(カラーン・ミナーレ、カリヤン・ミナレットとも) カラハン朝、1127年 46m
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、カリャーン・ミナレット(偉大な塔)は神聖なブハラのシンボルである。ミナレットはイスラム教徒への呼び出しのために使用されいたのではなく、精神的な指導者の権威とパワーを象徴していた。ミナレットの周りにはポイ・カラン(偉大な人の足元)というブハラの主要なアンサンブルが建造された。カラン・ミナレットは下部の直径が9m、上部の直径が6mであるという。
やっと目の前に現れたカリャン・ミナレットは、頂部がほとんど隠れてしまった。

『シルクロード建築考』は、1127年、カラハン朝の首領プルスラン・ハーンによって建立された「カリャンの塔」は、建築学的にも極めて精緻で美しい荘重なミナレットの姿を見せていて、ブハラの天空に君臨しているようである。当初は、塔の頂上に木造の架構があったらしいが、異建材による混構造の宿命で、折角の尖塔もすっかり崩壊してしまったという。
眼前に倒壊した塔の訓戒は、建築家にとっても、至って慎重な塔の煉瓦造建築に対する研究の努力と創造のアイディアを重ねたのに違いない。
地下10mの基礎と直径9m、高さ46mの基階の、焼成温度も高そうな硬い煉瓦に、灰と石灰に糖汁と膠を混合したものが目地材として用いられたというのも、より以上に堅牢化しようとした知恵であったのだろう。
プロポーションやその美しさに変化のある煉瓦積みに見る20種類に近い文様の手法は、胴ネックに巻かれた陶板ベルトも、眺望台へのほどよい緊張感を与えながら、王者の威厳のある風格をそなえて逆光の中に輝いているという。
ではこの塔は後世の再建?どの文献でも1127年建立ということになっているけど。これについては、最後に追記しました。

その20種類に近い文様を上部からみていくと、

創建時は木造だったという展望台
同書は、この塔の最も美しい眺望台は、尖頭アーチが枠取りされた16個の窓と、矩形の断面に面取りされた柱が連続的にサークルになっているのも、ラベンナ(北イタリア)のサン・ヴィターレの塔や、初期ゴシック(12世紀頃)の塔頂に似た面影があり、東西の交流までも推測させられる思いであるという。
① 眺望台の軒に平面を組み合わせたムカルナス
② 幅の狭い文様帯
③ 窓枠 窓は真下からはよく見えない。
④ 窓の下は8点星とそれを囲む8点星の組紐の組み合わせ
⑤ ムカルナス 植物文らしき浮彫がある
⑥ 青色嵌め込みタイル トルコブルーとコバルトブルーという施釉タイルが入り込んだ文様帯
⑦ 8点星を組紐で表した文様帯
⑧ 菱文繋ぎ
⑨ 十字の凹みのある幅広の文様帯
⑩ 幅の狭い文様帯
⑪ ⑨とは異なった十字文のある幅広の文様帯
⑫ 矢筈文の狭い文様帯
⑬ アラビア文字の文様帯
⑭ 細い長方形の凸文を左右上下交互に配した幅広の文様帯
⑮ 小さなレンガによる石畳文
⑯ 文様帯と文様帯を隔てる、焼成レンガの平たい面を並べた文様帯
⑰ X字の文様帯
少しずつ下にずらせ撮影したはずなのに、かなり抜けていた。
それて、後日見学したタシケント歴史博物館にある模型で見ると、

その下
⑱ 菱形の凹文のある菱文繋ぎ
⑲ 銘文 『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、碑文は、ミナレットの工事は1127年に建築家のバーコによって行われたことを意味するという。 
⑳ ソグドの文様
ガイドのマリカさんは、ゾロアスター教由来のもので、善と悪の2つの顔が上下反対に付いていて、それが魔除けとなっていったと言っていた。

八角形?の台座には、
㉑ 縦に3つの連珠のある細長六角形のテラコッタを亀甲繋ぎに
㉒ 平レンガを立てて並べて文様帯にしたもの 各文様帯の間にある

このように焼成レンガで様々な文様を表した塔は、美しいがその文様は写しにくい。

このミナレットは、眺めるだけでなく、登ってみたかったが、修復中でだめとのこと。いつか登ることができるようになったら、またブハラに来てみたい。それまで健脚でいなければ。
ミナレットの上からは旧市街がこんな風に見えるらしい。

『イスラーム建築の見かた』は、螺旋階段はイスラームの技術を誇示するかのように、降りる階段と昇る階段を分けた二重螺旋階段を生み出し、15世紀初頭のオスマン朝期には、階段板を120づつに組み込む三重螺旋のミナレットが造られたという。
登っていて二重の螺旋階段ということがわかるかな。

そして、その時は、このアリム・ハン・メドレセも行ってみたい。

     ブハラのアルク3←    カリャン・モスク

関連項目
ミナレットの空色嵌め込みタイル
サレバン・ミナレットを探して
メナーレ・マスジェデ・アリーを探して
空色嵌め込みタイル1 12世紀
ミリ・アラブ・メドレセ


2015年5月、ヒヴァのアルクの近くにある本屋で見つけた『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』を今頃になってやっと読んでいる。その中で、カリャン・ミナレットについて「シルクロード建築考」に記された当初は、塔の頂上に木造の架構があったらしいという記述について、もう少し詳しく書かれている。
サーマーン朝の首相アブ・アブドラ・ジェイハニは、918-19年、金曜モスクの傍にミナレットを建立した。木造の越し屋根は11世紀に焼失した。
現存のカリャン・ミナレットは、1127年の再建のものであることがはっきりした。

※参考文献
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「週刊シルクロード紀行11 ウズベキスタン サマルカンドブハラ」 2005年 朝日新聞社
「LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES」 1998年 Charque