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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年2月10日水曜日

メルヴ2 グヤウル・カラ Guya Ulk-Kalaに最西端の仏教遺跡 


エルクカラからグヤウルカラの南東端の仏教遺跡へ。

途中、イスラーム時代のサルドバ(貯水槽)跡に立ち寄った。グヤウル・カラの中央部あたりに位置するようだ。
イスラーム時代、グヤウルカラの西に城壁を築いて町がつくられたのに、グヤウル・カラの貯水槽まで水を汲みに来なければならなかったのだろうか。スルタンカラの住民が使うのには遠すぎる。
『シルクロード』で加藤氏が、グヤウル・カラは三度栄えた。セルジュク朝の後、ティムール朝の時
代にもう一度栄えたと言っていた。ここはティムール時代のサルドバだったのだろう。
さすがに貯水槽だけあって、焼成レンガで造られている。
3段構造で上の2槽は沈殿槽らしい。
上の貯水槽は少し小さい。 斜めの通路から人が水場に出入りしていたという。
円形の槽には、ドーム型の屋根がついていたはず。

またバスで移動。段々と城壁は近づくものの、ストゥーパらしきものはどこに?

NHKの番組『シルクロード第2集第13回灼熱・黒砂漠』は、60k㎡を上回る広い地域にわたって、城壁や砦、寺院などがはてしなく続いている。
グヤウル・カラの城壁は40X40X40㎝の日干レンガで築かれている。
アレクサンダーが来た時、すでにこの城壁はあった。
仏教遺跡はグヤウル・カラの城壁の片隅にあった。およそ100m四方の中に僧院とストゥーパが建てられていた。ここが現在確認されている世界で最も西にある仏教遺跡だという。
この番組で現地の考古学者の通訳をされていたのが加藤九祚氏。
同氏のメルヴの仏教僧院址研究ノートに、ストゥーパと僧院の平面図や立面図、ストゥーパの建築樹ごとの変化を表す断面図など、旧ソ連の学者の報告書の紹介文が掲載されている。
ストゥーパは直径約10mの円筒形の土塊で、14X13m、高さ3.5mの方形基台の上にのっていた。主軸は、わずかに東へ傾いた南北線上にあった。
ストゥーパの正面は北側、つまり都市の側を向いていた。
北側から主ストゥーパの基台に長さ6.3mの装飾的階段があった。実際の昇降には用いられなかったという。
その装飾的階段はどこにあったのだろう。この時は北側にあることを知らず、探して回った。
グヤウル・カラの南城壁とストゥーパ跡。
このストゥーパ跡に登ってよいものかどうか分からずにいると、
ガイドのタチムラさんは躊躇することなく登り始めた。
低い遺構は僧院跡。
ストゥーパにの階段は、保護のため土がかけられているという。階段ほどの幅の斜面を探して回った。
どこもが斜面なので、どれもが階段に見え、
やはり違うだろうとがっかりした。
ストゥーパと東城壁
見つけられそうにないのでタチムラさんに聞くと、この斜面が階段のあったところだという。
これって最初に見た斜面やん。でもこれは北を向いていないけど。
メルヴの仏教僧院址研究ノートにその階段の写真が掲載されている。
詳細な発掘調査の結果、ストゥーパは時期を異にするいくつかの建造物からなることが判明した。
第1期 最初のストゥーパは直径4mの円蓋をもった土塊であった。円蓋の基礎でシャプール2世(307-379年)のコインが5個見つかっているので、基台の構築は4世紀中期より古くないことがわかる。
第2期 最初の円蓋部分が補修され、刻んだ麦わらを混ぜた厚い粘土に(厚さ40㎝)が塗られた。直径はそのままで残された。高さは最初のストゥーパの基台から6mであった。
第3期 新しい基台の高さを1.5m高くし、以前のストゥーパの基台をまるまる包み込んだ。新しい基台の上面からストゥーパの高さは2.4mとなった。新しい円蓋の輪郭は半球形に近く、その表面には石膏が塗られた。
第4期 それまでの廃墟の上に新しいストゥーパが建設された。階段つきの新しい基台の上に円筒形のストゥーパが立てられた。
カワド1世(419-479年)のコインが発見された。従って僧院が活動したのは5世紀末までのそう長い時期ではなかったとこになる。
第5期 この期はストゥーパが信仰施設ではなくなった時期と関連している。それは崩れ、まもまく埋められてしまった。この時期には北側正面で主要な作業がなされていたとみられる。ここでは発掘のとき、日干煉瓦によるていねいな作りの階段とその西側に埋められた大仏像頭部(塑像)、および彩画のある粘土の壺(中に経文が入っている)が発見された。
ホスロー・アヌシルワン(531-579)の治世に、ストゥーパが埋められたことにともなう第5期がはじまった。
結論として、メルヴの仏教僧院のストゥーパの年代は4世紀-6世紀末であると言える。このストゥーパは今のところササン朝時代のマルギアナにおける唯一のものであり、仏教の北西流伝の限界を示しているという。
結局、装飾階段のあるはずの北側の斜面は写していなかった。

彩画のある壺 高さ46幅22.5㎝ アシカバッド、トルクメニスタン国立博物館蔵
大仏頭と同様に、ストゥーパのそばにかくされていたアンフォラ型の壺は、絵画作品として見事である。口縁部の直径の広い、把手の2つついた粘土の壺である。
壺の表面は、明るいアンゴーブの下地に、黒と赤および青の絵具で、人間の一生が描かれている。主題は、仏教本来のものとは少しちがって、人生を楽しみとその必然的な終末(死)が扱われている。貴人の男性の狩猟、宴会、臨終、出棺という4つの画面からなっている。この壺について、もとはゾロアスター教徒の貴人の遺骨を納めたオッスアリであったとの仮説が出されている。その根拠として、2世紀のメルヴの墓地で、同様な型の壺がオッスアリとして用いられていたことがあげられている。この壺がオッスアリとしてではなく、貴重な供物として僧院に運ばれ、サンスクリットの経文を納める容器として用いられたことが考えられるという。
仏語のアンゴーブはエンゴーベと読まれて白化粧土と訳されている。土器のような焼成していないもののようだ。
仏頭はどこに所蔵されているのか不明。

ストゥーパについては、仏教がアムダリヤ北部へ流伝するにともない、ストゥーパは最も単純な型式をとりはじめた。すなわち円蓋形の塔が正方形の基台にのった形である。これは例えばガンダーラ地方のタフティ・バハイのような重層式の小型ストゥーパとはちがっている。テルメズのズルマラ、ファヤズ・テパ、アイルタムのストゥーパはいずれも単純型である。ここでとりあげているメルヴの場合も同じであるという。
テルメズのズルマラとファヤズ・テパのストゥーパについては後日。

この旅行で見た一番立派なタマリスクの木だが、ピンボケ。


       メルヴ1 エルク・カラ Erk-gala
                         →メルヴ3 大キズ・カラ Great Kyz Kalas

関連項目
メルヴ7 アスカブス廟
メルヴ6 スルタン・サンジャル廟
メルヴ5 ムハンメド・イブン・ザイド廟
メルヴ4 小キズ・カラ

※参考サイト
加藤九祚氏のメルヴの仏教僧院址研究ノート 創価大学 加藤九祚


参考にしたもの
NHK特集「シルクロード第2部第十三集灼熱・黒砂漠さいはての仏を求めて」 1984年放送
「週刊シルクロード紀行14 メルヴ・アシガバード」 2006年 朝日新聞社
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人