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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年2月17日水曜日

メルヴ5 ムハンメド・イブン・ザイド廟


ササン朝時代の遺構でセルジューク朝時代にも使われた(『旅行人ノート⑥』より)キズ・カラの次に古いのは、ムハンマド・イブン・ザイド廟である。

イブン・ザイドは8世紀の人物。ムハンマドから5代目の子孫とも言われる。廟は12世紀に、周りの小さな建物と共に建築群として建立されたとガイドさん。

ドームが3つ見える。
同じ時に建てられたムハンメド・イブン・ザイド廟と他の人たちの廟(メルヴの博物館で写す)
北側に入口があった。

入口を入ったところにある部屋のドーム。平レンガを持ち送りにしてドームを架構している。
それを支えるのは、イスラーム圏では一般的なスキンチではなく、ペンデンティブ。
右の尖頭アーチには、補強のために柱を立ててある。

右の部屋の天井もペンデンティブに支えられた焼成レンガのドーム。
床の小さなカーペットが突き当たり(西側)を向いているので、これがミフラーブの壁龕。この尖頭アーチも柱で補強されている。
でも、南壁の方が焼成レンガだけで様々な文様を作っていて、重要そう。
タイルの文様については後日

先ほどの部屋に戻ると、やはり柱で補強された東側の尖頭アーチの奥にも部屋があった。
そこは半ドームになっていて、半ドーム頂部を仕上げる工夫の跡が露出していた。
この玄関間にも西半分に一段高くなった場所がある。
ムハンメド・イブン・ザイド廟詣での人々が休憩する場所かな。
開口部から南側の部屋に入る。
南のイーワーンには出入り口があり、そこからの光がたより。
この部屋もペンデンティブからドームが架構されているが、博物館で見たジオラマでは、南東の部屋は陸屋根になっていたし、絵葉書でもドームは見えないのに。
西壁中央にはミフラーブっぽい壁龕と、奥の部屋への通路があった。

ここが墓廟
天井は他の部屋よりも高く、
移行部はスキンチ。
絵葉書で見ると、八角形の各角には、小さな焼成レンガが双方から盛り上がりながら迫り出していって、少し径を小さくしてドームを載せている。
それにしても、焼成レンガによるこの細かな装飾!それについては後日
暗いので、実写ではよく写っていなかった。
スキンチの角にも同じような持ち送りが。
この部屋のスキンチがのっぺりと感じられたのは、この持ち送りで、実際に奥行のない曲面に仕上がっているのだった。

西壁にはフレスコ画による装飾の痕跡がある。中央にミフラーブ。
ミフラーブにもフレスコ画が描かれ、頂部の多弁形は漆喰で造られていたようだ。
そしてムハンメド・イブン・ザイドの石棺(『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』より)植物文やアラビア文字の銘文などが一面に浮彫されている。

念願の見学を終え外に出ると、枯れ木に色とりどりの布片が結び付けられているのに気付いた。これはイスラーム以前からの土着の信仰らしく、日本でお神籤を木に結ぶのと似ている。案外根元は一緒で、シルクロードを通って伝播したのかも。
左奥にはジオラマにあった小さい方の墓廟。人がいるので、時間があれば見学できたかも。
木の向こうにある廟は修復中で、その右手にはキズ・カラのような壁が。何故この建物の全体を写さなかったのだろう。

ムハンメド・イブン・ザイド廟の近くにも建物跡が。何時の時代のものだろう?

          メルヴ4 小キズ・カラ←   →メルヴ6 スルタン・サンジャル廟

関連項目
ムハンマド・イブン・ザイド廟の焼成レンガ装飾
メルヴ7 アスカブス廟
メルヴ3 大キズ・カラ Great Kyz Kalas
メルヴ2 グヤウル・カラ Guya Ulk-Kalaに最西端の仏教遺跡
メルヴ1 エルク・カラ Erk-gala

※参考文献
「週刊シルクロード紀行14 メルヴ・アシガバード」 2006年 朝日新聞社
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES」 1998年 Charque Tachkent