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中央アジア各国の旅行記が完成したので、西アジアのイラン旅行をまとめています。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2016年10月27日木曜日

再び絶景ポイント、そしてドゥシャンベへ


後は一路首都ドゥシャンベを目指す。
Google Earthより

谷が開けてくると、高い山々が顔を出す。
道路工事の区間に差しかかる。
再びアイニの町はずれにある黄葉絶景ポイントで写真ストップ。
我々の背後で道路にラインを引いているのは中国人だった。そんな風にタジキスタンでは仕事で来ている中国人が多いので、我々のような平らな顔族を見かけると中国人だと思うらしい。
一路ではあるが、度々写真ストップしながらの旅。
Google Earthでもわかるように、このような赤い山脈の帯が所々露出している。古代テティス海に積もった様々な鉱物を含む地層が褶曲の末にこのような景観を生み出した。

アイニの町を通り抜け、ゼラフシャン川を遡る。
分かってはいても、色のすごさに思わずカメラを向けてしまう。
その奥には白い層が。
確か、カスピ海北東沿岸のカザフにはウスチュルトという真っ白な台地があったり、シチリア島南岸にも白い崖があったりする。最西端はイギリスの東海岸の崖という、とてつもなく広大な海の底の堆積物。それは白亜、白亜紀の白亜(チョーク、軟質石灰岩)というのをいろんな番組で見てきた。ひょっとしてこの白い層も白亜?

この地点でゼラフシャン川とは別れ、支流のイスカンダル川に沿って南下する。
イスカンダルはアレクサンドロス大王のことだが、その源頭もイスカンダル湖と大王の名が付いている。大王はマラカンダ(サマルカンドの当時の名称)からザラフシャン川に沿って東進し、ペンジケント、イスタラフシャン、ホジャンドと進軍していったのだと思っている。

10分ほどでヤグノブ川とイスカンダル川の合流点をイスカンダル川へ。
アラブ軍に追われたソグドの生き残った人々は、ヤグノブ渓谷の奥地の標高の高いところまで逃げたという。そこまではアラブ軍も追って来ず、以来周囲からは忘れられたように暮らして来た。現在も少数の人たちが暮らしていて、ソグド語を話すが文字は引き継がなかったという。
ソ連時代には、同じ国民なので平等に仕事をするべきだと言って、ソグドの人々を低地に移住させて労働を強いた。標高差で体調を崩して亡くなる人が絶えなかったので、また故地に戻され、現在に至っているとガイドのロマさんが教えてくれた。

やがてイスカンダル川とも別れてどんどんと道路は標高を上げていった。
 秋は午後4時前ともなると日が傾きを増し、深い陰を作り出す。
 またしてもすごい色の山。

雪山も現れ、

遂にイランが造ってくれたというアンゾブ・トンネルまで来た。
右側は土砂が行く前に積まれていて入り込めないので、左側だけ対面通行にしている。
中に入るともやっていて、あちこちから水が落ちてくる。どんどんスピードが落ちてきて、とうとう長いトンネルの中で停止してしまった。交互通高区間を警備員の合図に従っただけなのだが、ここで立ち往生してしまったらどうしょうと不安になる。
5㎞強のトンネルにいたのは20分ほど。
どうやらもう1本のトンネルはこれから穴を掘るところらしい。
近くの岩山
地味な色目の山肌にも地層が斜めに走っている。
南方の高い山々を見ながらどんどんと下っていく。
日差しはもうこの谷間には入ってこない。
また白い山が。

いつの間にか右手に小さな川の流れを見ながら緩やかな下りを走っていた。
ヴァルゾブというドゥシャンベへと流れていく川だった。車が止まったので休憩かと思いきや、
その川の水で洗車してもらっていた。ドゥシャンベに汚れた車で入ると罰金を科されるのだそう。
その後は別荘が散在する箇所を通って、
ドゥシャンベに入る手前で車の汚れを警官が調べ、
ホテルに付く頃には真っ暗になっていた。


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