お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年12月12日木曜日

メテオラ4 見下ろす景観


メガロ・メテオロン修道院を出て、メテオラの上の道路を写真ストップしながら巡る。
ここからが、①アギオス・ニコラオス、②ルサヌウ、③バルラアム、そして先ほど見学した④メガロ・メテオロンと、メテオラの修道院を一番たくさん見ることができる。
②ルサヌウ修道院が、再び空洞のある大岩のそばに見えた。
岩全体が日陰に入ったので、内部がよくわかるようになってきた。
まさか、あんな所で寝ていたとも思えないが・・・
下の方に建物跡があるらしい。
向こうにも人がいるが、この岩場も展望が良い。
先ほどと同じように4つの修道院が一望できる。
一番下で奥の①アギオス・ニコラオス修道院にズーム。
右下に駐車場が見えた。中央手前の岩山に参道もあるので、手軽に登れそうに、ここからは見えるが、実際は大変かも。見学者も少ないし。
左に向きを変えると、大岩が風化して小さな岩山の集合体になっていったような光景。岩山の間には木の生えた傾斜地があって、そこからなら幾つかの岩山に容易に行けそうだ。
正面の岩は、こちら側がすこんと一気に崩れ落ちたよう。
別の一枚岩にも縦横に風化の痕跡。
その右下にはあの大きな空洞があった。若者は空洞を写しているのだろうか。
また場所を変えて眺める。
右の岩山には人が穿ったのか、洞穴がたくさんある。住みよい岩場だったのかも。
向こうの岩の上にはまた修道院。⑤アギア・トリアダ(三位一体)だ。大きな岩山の一部のよう。
その間からカランバカの街が望める。
道を進むと、アギア・トリアダの岩山は、独立峰だったことがわかった。こちらの岩山とケーブルで繋がっているように見えるが、現代版にしろ、人が籠で渡るには遠すぎるのでは。

アギア・トリアダ(聖三位一体)修道院 1476年創建
『世界歴史の旅ビザンティン』は、主聖堂には1476年創建の銘が残っている。岩のそびえ方も瀟洒なドームも、メテオラでもっとも写真映えのする修道院であるという。
正面に回っても、下界からの参道や籠、梯子はどこにあるのかわからない。
あ、左の木造の建物が籠の上げ下げに使われたところだ。
カトリコンのドームが瀟洒かどうか見極める隙もなかった。後陣がこちらを向いているのだろうが、身廊の幅に対して、ドームが大きい。
『METEORA』に1745年当時のスケッチがあった。
今でもやっぱりこんな風に籠か梯子でしか登れなかったりして。
ずんぐりした聖堂の平面図と断面図も載っていた。
同書は、2柱式内接十字の小さな教会で、中央にドームがある。教会の東側に3室の後陣があるという。
このドームも楕円形。後ろのドームは後の時代に増築された。

次に見えてきたのが⑥アギオス・ステファノス修道院。こちらはあまり苦労せずに修道院に行けそう。
⑥ アギオス・ステファノス修道院
同書は、古くから隠修士の住む場所であったが、14世紀末-15世紀初頭に、皇帝も排出した名家カンタクジノスのアントニオスによって修道院の結構が整えられた。1798年建立の主聖堂は、聖ハラランボスに捧げられているという。
カランバカの街外れが見下ろせる。
扉は閉じて見学できなかった。

メテオラ3 メガロ・メテオロン2 主聖堂(カトリコン)の壁画 
                                    →メテオラ5 ルサヌウ修道院

関連項目
メテオラ6 カランバカの聖母の眠り聖堂
メテオラ2 メガロ・メテオロン修道院1
メテオラ1 奇岩を縫う道から修道院を眺める

参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「METEORA Itinerary」 D.Z.SOFIANOS 1991年 Holy Monastery of Transfiguration