お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年12月4日水曜日

メテオラ2 メガロ・メテオロン修道院1


③バルラアム修道院を通り過ぎ、④メガロ・メテオロン修道院前へ。

メタモルフォシス(変容)修道院
『世界歴史の旅ビザンティン』は、メガロ・メテオロンの名で知られる。標高400m近い岩の上にそびえ、20世紀初めまで修道院の出入りはロープに吊り下げた籠によっておこなわれていた。当時の模様は絵葉書や展示写真でうかがうことができる。創建はメテオラの聖アタナシオス(1305-83)による。後継者のヨアンニス=ヨアサフ・ウロシュが主聖堂(カトリコン)を建立したのが1388年のことであったという。
手前中央の窓が縦に並ぶ細長い建物の上で、一昔前まで籠を上げ下げしていた。今は見学者は左のジグザグの参道を登っていく。192段の階段がある。
右の方には野猿のようなものが。あっ、
ちょうど野猿が動き出し、谷を渡ってきた。すぐにこちら側に到着したこの人は修道士でもなさそうだった。物資の輸送に使っているのだろう。
修道院を見上げるくらい下りてきた。
まだまだ谷を下りて、谷底の石橋を渡らなくてはいけない。
谷からの眺め。
③バルラアム修道院が岩の向こうに顔を出している。メガロ・メテオロンとバルラアムは、道路から見えたように隣り合った岩の上に並んでいたのではなかった。
右前方には、岩を剥ってつくられた参道を登る人達。
これが道路から見えていた岩山の間にある供養碑。道路脇のものよりもずっと大きい。
この地で亡くなった巡礼者たちを供養しているらしい。
昔の昇降機を見上げる。今でも滑車は残っている。
建物と参道の間の隙間には、梯子が掛けられていたことを古い写真で知った。
長い間籠に乗るか、梯子でこの崖を登るかしか出入りができなかったのだ。私だったらどっちを選ぶだろう。宙に浮く怖さと手や足を滑らせて落下する危険性。
いや、修道士は籠、巡礼者は梯子だったかも。それで橋の向こうに大きな供養碑があったのか・・・
昇降機のアップ。まだ網が残っている。篭ではなく網やん。
橋を渡るとしばらく岩の中を通る。
5分ほど登って修道院に到着。ここから眺めるバルラアムは大きくはない。
昇降機のある部屋は立入禁止だった。
修道院内は女性は長ズボンでもダメ。足首まであるスカートを持参するか、修道院で借りることになる。私は荷物が少なくて済むと思い、持ってこなかった。
ところがギリシアでは、ギリシア人も旅行者もかなり太目の人が多く、メテオラで借りるスカートがサイズの大きなものしかなく、引っ張り上げながら見学することになったらどうしようと心配するようになっていたが、巻きスカートだったので一安心。
しかし、長ズボンの上に巻きつけたので、暑い暑い!ギリシアでは6月下旬ともなると暑いが、風は冷たく日陰に入ると涼しいのだが、修道院内は風が通らない上に、ズボンと巻きスカートの2枚重ね。あっつー
食事などを叩いて知らせる板。テレビではたたいているのを見たことがあって、割合長い間独特の叩き方をするのが面白く、是非実演が見たかったが、その時間と見学時間が合わなかった。
まず、下階の貯蔵庫へ。現在は修道院での生活道具の博物館になっている。
農具や葡萄絞り器などいろいろ並んでいた。アーチや梁なども面白い。

次に階段を登って元の階に戻り、主聖堂(カトリコン)に入るのだが、その外壁に珍しく壁画があった。
METEORA Itinerary』は、元の聖堂の閉じられた入口に壁画がある。壁龕の上方には玉座に坐し、小さな天使が玉座の両側にいる。壁龕の両側左右に、最後の審判で一人でも多く救うよう嘆願する聖母と洗礼者ヨハネが控えているという。
元の聖堂については次回。
デエイス(デイシス)の場面だ。
同書は、下側には天国で長椅子に座る長老たちやその周りには図式化された樹木、花などが、民間の画家によって描かれているという。
その上のロンデル窓が興味を惹く。

カトリコンへ。内部は撮影禁止だった。フレスコ画については次回。
見学後主聖堂の袖廊の外を通って、先ほどの壁画の前を通って、
その向かいにある木魚の横をまた見て、
別の展示室へ。左の部屋はショップ。教会らしくイコンもあったが、小さくても高価で、土産物感覚では買えるものではなかった。
ここも撮影禁止。宗教関係のものが展示されていた。
最後に昔の台所へ。
当時の調理器具などが並んでいた。
正方形壁面に4つのペンデンティブ、
その上にドームがのり、明かり採りの窓があった。
その後また戻って、新しい壁画で飾られた建物の傍を通過。
板に十字架や天使の浮彫を見付けたり、
植物文を透彫した十字架形の窓?があったりするのを見ながら、ロープの張ってあるところを避けて進んでいと、
小さな広場があって、振り返るとロープの張ってあるのが、主聖堂の修復中の後陣だとわかった(左右対称だが、左側に部屋が付属している)。
この養生のために近づくことができなかったが、後陣の窓には1387-88年創建時の銘が刻まれている。
ロンデルは大きさがばらばらで、漆喰などで窓に取り付けられていたようだ。
更に先へ進むと、
展望台があった。
隣?の③バルラアム修道院
カストラキの村と遠くの雪の残った山並み、
その手前の低い山には、修道院跡が望める。

メテオラ1 奇岩を縫う道から修道院を眺める← 
                 →メテオラ3 メガロ・メテオロン2 主聖堂(カトリコン)の壁画 

関連項目

メテオラ6 カランバカの聖母の眠り聖堂
メテオラ5 ルサヌウ修道院
メテオラ4 見下ろす景観

※参考文献
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」 1997年 小学館
「METEORA Itinerary」 D.Z.SOFIANOS 1991年 Holy Monastery of Transfiguration