お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年2月20日木曜日

ロドス島3 旧市街へはアンボワズ門から


『世界歴史の旅ギリシア』は、リンドス、イアリュソス、カミロスの3都市は、それぞれが独立したポリスとして発展したあと、前408年に島の北端に 新たな計画都市ロドスを建設し、そこへ集住をおこなった。こうして単一のポリスとして歩み始めたロドスは、前305年から翌年にかけてのデメトリオスによる攻囲を退けたあと、ヘレニズム諸王国のバランス・オブ・パワーをたくみに利用し、前3世紀から前2世紀前半にかけて東地中海随一の商業国として繁栄を極 めることになる。市内にそびえる巨大な太陽神ヘリオスの像は古代七不思議の一つに数えられ、ロドスの刻印が押されたワイン輸送用のアンフォラは、アレクサンドリアをはじめとする地中海各地に輸出されていたという。

その後ロドスの名が再登場するのは十字軍時代かな。
図説ギリシア歴史・神話紀行』は、広く知られた聖ヨハネ騎士団の要塞都市だ。12世紀から十字軍の拠点の一つになり、14世紀に同騎士団が聖地イェルサレムを撤退してからここに城郭を築いた。一見ギリシアとは思えない中世西欧ふうの街景で、とくに騎士団長の宮殿(14世紀)とその周辺などは、南仏のアヴィニョンあたりを思わせるという。

城壁の北西にあるアンボワズ門から入って行く。

アンボワズ門
『THE KNIGHT OF RHODES』(以下『RHODES』)は、同名の騎士団長によって1512年に建立された。イタリアに占領されるまでは、橋は可動式で、夜間に門を閉じるために引きあげられていたという。
撮し損ねたが、門の近くは橋が別になっている(同書の写真によると)。
長い橋の向こうにジグザグになった板状の壁になっている。古代の階段状の鋸壁が中世になるとこんな形になるのかな。
同書は、火薬の発明要塞の姿を劇的に変えたという。
その前には両側に丸い出っ張りが2つ。監視塔?
橋の右手。当時濠だったはずのところが、今では散歩道。歩いてみた~い!
でも、一番目立つのはそこここに置かれた石の砲弾。イスタンブールのイェディクレを思い出してしまった。
左手は濠と城壁が曲がっている。この辺りの城壁も監視塔も丸い。当時はこれがオスマン軍の攻撃に有効だったのだろう。
銃眼なのか、矢狭間なのか、武器の歴史に疎いのだが、小さな隙間がまばらにある。
門を入り、城壁の下の左に90度曲がった通路を通り抜ける。
出口から振り返る。城壁にはこれだけの厚さがある。日本のお城の城壁とはえらい違いや。
また門をくぐると狭い堀。

門の中へ入るとまたジグザグの壁があり、その向こうには騎士団長の館が聳えている。
次の門の向こうはにぎわっている様子。
旧市街には土産物屋が並んでいる。

しかし、我々はまた別の門を通って、
駐車場と化したシミ広場を通って、尖頭アーチのある建物へ。

尖頭アーチ左には⑬騎士団長の館。
これについては後日
右にはモスクのミナレットが見えている。
典型的な交差リブヴォールト天井のゴシック様式だが、この辺りがアヴィニョン風なのかな。
騎士団通りへと続く十字路にこのような天井が架けられているのではなく、『RHODES』は騎士団通りの後陣という風に呼んでいる。

直進して騎士団通りへ。
狭い通りの両側に聖ヨハネ騎士団に参加している当時の国々(国ではなく、同じ言語を持つ人々の集団ということらしい)の宿舎が犇めいている。
ロドスでは歩行者は右側通行というのではなく、暑いので誰もが日陰を通る。
正面に見えるアーチは、その手前右には⑪スペイン語圏の宿舎と左の、
⑫プロヴァンス語圏の宿舎を結んでいる(『ミシュラン』より)。
盾形紋章が十字形の枠内に並んでいる。
同書は、スペイン風建築の第2期(1480-1522年)。第1期に比べると装飾的な要素が多い。盾形紋章や枠の装飾などという。
一方、⑪スペイン語圏の宿舎は第1期(1308-1480年)でプロヴァンス風。簡素な建築という。
確かに簡素過ぎて写すのを忘れていた。
アーチを過ぎてすぐ左側

聖三位一体教会 14世紀
日本で言えば町のあちこちに置かれたお地蔵さんのように、ただ聖母子像が祀られているのかと思ったら教会だった。
内部も創建当初のままなら入ってみたかった。

アーチの奥は両側ともガーグイユ(樋嘴)らしきものが並んでいる。
⑩フランス語圏の宿舎(地図外)
木製の犬のようなガーグイユが一対。
⑨イタリア語圏の宿舎(地図外)
樋口はあるが、ただ水を落とすためだけの樋。
同書は、宿舎は1階はには中庭があり、その周囲にはヴォールト天井の貯蔵室へと続く通路がある。階段を上がると様々な用途に使われた部屋が並んでいる。このような配置はスペイン、イタリア、南仏の各語圏の宿舎に共通している。
ロドスの中世建築様式の特異性と美しさは、土着の要素とロドスに将来されたゴシック様式の結合にあるという。
この辺りをもっとゆっくりと見て回りたかったのに・・・

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関連項目
ロドス島7 ヨハネ騎士団長の館2
ロドス島6 ヨハネ騎士団長の館1
ロドス島5 旧市街を街歩き2
ロドス島1 リンドスの遺跡

※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
「図説ギリシア 歴史・神話紀行」 巖谷國士 2004年 河出書房新社
「THE KNIGHT OF RHODES」 ANNINA VALKANA  MICHAEL TOUBIS EDITIONS