お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年3月3日月曜日

ロドス島6 ヨハネ騎士団長の館1


ロドス旧市街、アンボワズ門に近い一角に⑬ヨハネ騎士団長の館がある。

『知の発見双書30十字軍』は、ヨハネ騎士団は聖地のフランク人諸国家が滅亡した後も存続した。1309年にはロードス島を占領し、オスマン・トルコに征服されるまでとどまったという。

『ミシュラン・グリーンガイドギリシア』は、14世紀、城壁の北西に、城壁を補強するかたちで建てられたこの建物は、宮殿というよりはむしろ要塞のようである。事実、この建物の壁は銃眼つきの城壁になっていて、要所ごとに塔がたち、主櫓を備えている。さらに壕が掘られ、食料や軍需品を備えるための地下3階の倉庫まである。トルコ人はこれを監獄として使い、1856年には火薬庫の爆発によって大きな被害を受けたが、イタリア人が修復したという。
同書は、宮殿は大理石を敷きつめたアーケードつきの中庭を囲む形でたっているという。
騎士団長の館平面図

交差のない、高くすっきりとした尖頭ヴォールト天井の下、大理石の階段で二階へ。

① トロフィーの間
2本の円柱がある
初期キリスト教の舗床モザイク コス島 5世紀後半

2種類の七宝繋文が縦に並び、その両側の文様帯には蔦文がある。
その続きのモザイクは、五点星のある組紐文の円形文様帯のなかに、壺から葡萄の蔓、両側にクジャク、壺の下方には一対のハトと、キリスト教的なモティーフで構成されている。

② ラオコーンの間
ラオコーン像の背後の壁に起拱点を持つアーチは、今は木造の平天井だが、本来は四方から出た尖頭アーチが交差天井を作っていた名残?
床は小さな区画に分割され、それぞれ様々な幾何学文がモザイクで表される。
舗床モザイク 後期ヘレニズム時代 コス島
中心は菱形と三角形で構成された円形、その外枠の正方形の四隅には茎を左右に広げた植物、外側には葡萄唐草が巡る。

③ メドゥーサの間
メドゥーサのモザイク 後期ヘレニズム時代 ロドス島
④ 虎の間
木製聖歌隊席が部屋の四辺に置かれ、床に小さなモザイクがある。
舗床モザイク 出土地、制作年代不明
実際には、飛びかかる豹が表される。


⑤ 第2交差ヴォールト天井の間
舗床モザイク 初期キリスト教時代 コス島
小さな組紐文と、暈繝(グラデーション)のある紐が捻れあってできたたくさんの区画に様々な文様が表される。
これは聖坏。

⑥ 列柱の間
『THE KNIGHTS OF RHODES』(以下『RHODES』)は、ヨハネ騎士団の会議が行われたと推定される。テオドシウス式の柱頭をもつ2列の柱列が、広間を3つの通路に分割しているという。

聖ヨハネバシリカ式聖堂の舗床モザイク コス島
ツートーンで表された卵鏃文の並ぶ正方形と暈繝の正方形が交差する8箇所に、組紐文が円弧を交差させるという複雑な構成が円形枠内に展開する。

⑦ ティルススの杖の間
ティルススの杖の舗床モザイク 前2-1世紀 ロドス
同書は、ティルススの杖はディオニュソス神の象徴。

シャンデリアはムラーノ・ガラスという。
上の小窓はガラスではなく、アラバスター。
アラバスターは光を通すので、窓ガラスの代替品として使われたことは知っていて、是非見てみたいと思っていた。しかし、ロドスでその実物を見ることになろうとは。

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関連項目
窓にアラバスターの薄板
もう一つの十字軍の拠点、クラク・デ・シュヴァリエ
尖頭交差ヴォールト天井はゴシック様式
ロドス島4 旧市街を街歩き1
ロドス島3 旧市街へはアンボワズ門から
ロドス島2 ロドス旧市街周辺
ロドス島1 リンドスの遺跡

※参考文献
「ミシュラン・グリーンガイド ギリシア」 フランス ミシュラン・タイヤ社 1993年 実業之日本社 
「THE KNIGHT OF RHODES」 ANNINA VALKANA  MICHAEL TOUBIS EDITIONS
「知の発見双書30 十字軍 ヨーロッパとイスラムの対立の原点」 ジョルジュ・タート 1193年 創元社