お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年2月27日木曜日

ロドス島5 旧市街を街歩き2


これがスレイマニエ・モスク。
スレイマニエとは、ロドスを占領したスレイマン大帝の名から来た名称。
地図のプランにもあるように、1対の小ドームが大ドームを挟んだ、やや変則的なオスマン朝のモスクになっている。
スレイマン大帝はこの戦いにミマール・シナンを連れてきて、征服後すぐにモスクを建てさせたのだろうか?
『シナン上』は、1522年、スルタン・スレイマンは、10万の軍勢と共に、陸路ウスキュダルを発ったのである。
海路を行ったのは、遠征軍の総司令官ムスタファ・パシャである。
700隻の艦隊を率いた。この軍に、さらにルメリとアナトリアの軍が、キュタヒヤで合流した。
この異様な数の軍団がロドス島に向き合うマルマリスに到着したのは7月28日であった。
砲撃が開始されたのは8月1日である。
シナンは、イェニチェリとして、この戦いの中にいた。
この時のシナンの仕事は、坑道を掘り、城壁の向こう側まで地下の道を作ることであった。
シナンのいる作業班は、このおり、幾つもの坑道を、短い期間で掘った。
  ・・略・・
シナンは、ヨハネ大聖堂の柱や壁を手で触りながら、それを眺めて回った。
そういう箇所を丹念に見て回りながら、なるほどここはこういう具合に石を積みあげているのか、心の中でそんなことをつぶやいている。
柱の数や、その上に乗っている石の天蓋の重さなどを目で量っている。
戦いの渦中にその身を置いてながら、さらには勝者としてその現場に立ちながら、当事者ではないような眼で、シナンはそういう光景を眺めている。
しかし、こうして大聖堂を眺めるにつけても、シナンの心の裡に湧いてくるのは、
「アヤソフィアの方が上だな」
という思いである。
この、ロドス島の大聖堂程度のものであれば、何年か経験を積めば、「この自分にも、建てることができるだろう」そういう思いがあるという。
当時のシナンはまだモスクを建てることはできなかったのだ。
『ミシュラン・グリーンガイドギリシア』は、このモスクはかつての聖使徒教会に改修を施したもので、イタリア・ルネッサンス様式の優美なポルタイユを通って入ることができるという。
それに、スレイマニエ・モスクは当時の大聖堂ですらなかった。
ドームの形がビザンティンぽくないのは、陥落後、建物はそのままの状態でモスクに変えられたのではなく、ある程度時代を経た時期にドームの改修が行われたからだろう。

遺跡から見えたクルーズ船がここからも見える。
手前の赤い壁の建物のおくじょうにいる騎士は人形だった。その中庭風のところでワンドリンク、サービスしてくれる。
通ってきたテオフィリスコウ通りも見えているが、ビザンティン時代の城壁はわからない。
ビザンティン時代の城壁はここにも残っていた。十字軍時代よりも小さな街だったのだ。
この坂道を下りてきた。こんなところにも砲弾が。
スレイマニエ・モスクのミナレットが呼んでいる。
ロドスの旧市街らしい、賑やかな通りを通っていくと、
上から見たとおり、スレイマニエ・モスクは厚みがない。せっかくなので見学したかったが、鉄製の門には鍵が掛かっていた。
イタリア・ルネッサンス様式の優美なポルタイユというのはこの門のこと?
回り込むと扉は半開きだった。傍のプレートに開いている時間が記されていたが、この時間はそれに当てはまらなかった。
ちょっとだけ中庭に入って撮影。
中庭のない列柱廊

スレイマニエ・モスクは旧市街の観光客のメインストリートソクラトゥス通りに面している。
集合場所のイポクラトゥス広場までプラプラ。

通りの両側にはちょっと古びた商店(土産物屋)がずらりと並ぶ、右手に妙な建物が。上に監視塔のようなものがある。
絵葉書、Tシャツ、革のサンダル、そして色んな色の海綿などが店先に置かれている。
深夜までかかることもある連日の洗濯に辟易していた私は、自分用のTシャツを購入。
私好みの風化したイオニア式柱頭の絵はサイズが合わず、ギリシア陶器によくある神話の題材のものを買った、8€。着心地もよく、観光地にしては安かった。
突き当たりのイポクラトゥス広場に到着。
カステラニア噴水が待ち合わせ場所。てっぺんにフクロウの像が置かれ、その下の方にはハトが留まっている。
日陰がなく暑いので、時間までジェラートを食べようと店を探す。少々間違えてソルベ屋に入ってしまい、そこで涼をとっていた。
バスで出発、マンドラキ港のそばを再び通る。午後になると鹿の像や聖ニコラス塔がよく見える。
空港へ。やっぱり午後になると、浜はバカンス客で溢れている。

次は画面左下のクレタ島だが、ロドスからの直行便はないようで、なんと、アテネ経由で行くことになった。


     ロドス島4 旧市街を街歩き1←  →ロドス島6 ヨハネ騎士団長の館1

関連項目
スレイマニエ・ジャーミイ1 ミマール・シナンが造った巨大ドーム
ロドス島7 ヨハネ騎士団長の館2
ロドス島3 旧市街へはアンボワズ門から
ロドス島2 ロドス旧市街周辺
ロドス島1 リンドスの遺跡

※参考文献
「THE KNIGHT OF RHODES」 ANNINA VALKANA EDITIONS M.TOUBIS
「ミシュラン・グリーンガイド ギリシア」 フランス ミシュラン・タイヤ社 1993年 実業之日本社
「シナン 上」 夢枕獏 2004年 中央公論社