お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2013年9月26日木曜日

ペロポネソス半島5 オリンピア3 フェイディアスの仕事場


オリンピアはゼウスの聖域だった。
『オリンピアとオリンピック競技会』は、現在のオリンピアの遺跡は、地震で倒壊する直前の最終段階に達した神域である。聖なる森”アルティス”の中の神域に、まず3つの神殿(ヘラ神殿、ゼウス神殿、そしてメトロン)が建てられ、そこから犠牲獣を捧げるための大祭壇、この地の英雄ペロプスに捧げられた聖所などが築かれた。こうした建物は、オリンピック競技会の開催を含む神域の機能を維持するために不可欠であったという。
オリンピアの遺跡に至るまでの松林、遺跡内に所々残る木々はアルティスの聖なる森の名残だった。

下図(『ギリシア美術紀行』より)では、アルティスの境界線というものがある。

12 アルティスの境界線 ギリシア時代のものとローマ時代のもの
『ギリシア美術紀行』は、聖俗二つの世界を分離する壁体、すなわちアルティスを限る境界(内側のそれがギリシア時代、外側のそれがローマ時代)とそこに入るための入口(プロピュロン、12と14がローマ時代)という。

ゼウス神殿前より。
どちらの時代のものかわからないが、確かに低い石垣らしきものが続いているなと思っていた。
聖域の外の通路より。
左側の高い方がギリシア時代、右側の低いものがローマ時代のアルティスの境界線。
⑭のローマ時代のプロピュライアは確かめなかった。その先の建物遺構は南浴場だろう。
同じく通路よりゼウスの聖域を眺める。右側がゼウス神殿。
人の通っている辺りの小さな石を積んだものがギリシア時代、左端の低いものがローマ時代のアルティスかな。

聖域に入る前に、ゼウス神殿にとって最も重要だったゼウス像が造られた工房へ寄り道。

5 フェイディアスの仕事場(前5世紀)跡に建てられたキリスト教聖堂 後5世紀
後陣の半円形の出っ張りが見えている。
その右隣にテレコイオンがあったようだ。
バシリカ式聖堂の西正面図と平面図 後5世紀
フェイディアスの時代から1000年も経って造られたとは言え、この聖堂跡も初期キリスト教会の建物として貴重である。
『オリンピアとオリンピック競技会』は、キリスト教徒はここに、後陣(東に張り出した半円形の部分)と円柱が立っている正面入り口、そして内部に3筋の身廊を有するバシリカ様式の教会を建てたという。
聖堂の前室。
同書は、建物のオリジナル部分は、下部構造(壁を形成していた切り石ブロックの一部)のみで、上部構造と内部は、教会に建て替えられた初期キリスト教時代に属するという。
中央の開口部から聖堂身廊へ。
聖職者と信者を隔てる後陣手前に造られた障壁、石板透彫のテンプロンが残っている。中央に丸に十字のマークがあるのだが、分かりにくい。
円柱にはあっさりした唐草文が浮彫されている。右の柱の基部にはアカンサスの葉もあった。
ここでフェイディアスがゼウス神殿に祀られたゼウスの坐像を造ったという。その痕跡を求めてきたのに、見てもよくわからなかった。
オリンピアの考古博物館には、仕事場の棟飾りやじっと遺構に使われたもの等が出土していた。それについては後日。

『ギリシア美術紀行』は、主室の内法12.57X18.418、前室のそれ12.57X10.34、高さ13.088m、この寸法はゼウス神殿の内室全体のそれと同一であり、フェイディアスはここでゼウス神殿の本尊、高さ12mに達した黄金象牙のゼウスの坐像を制作したのである。 
ここから発見された陶片は、大部分が前430年前後のものであったこと、したがってフェイディアスはアテナ・パルテノス像を完成(前438年)した後のいつかにアテナイを去って、多分パルテノンの最終的完成(破風彫刻の完成は前432年)を待つことなく、オリュンピアにやって来たのである。オリュンピアのゼウス像はフェイディアス最後の傑作だったのであるという。
平面図からすると、5世紀の聖堂の入口あたりでゼウス像を造っていたようだ。

オリンピア考古博物館第7室では、フェイディアスが使用した様々な道具や材料、仕事場の建物の棟飾りなどが展示されていた。
それについては次回

オリンピア2 オリンピック競技のための施設← 
               →オリンピア4 博物館1 フェイディアスの仕事場からの出土物

関連項目
オリンピア12 オリンピアのトロスはフィリペイオン
オリンピア11 宝庫の軒飾り・棟飾り
オリンピア10 スタディオンの西に並ぶもの
オリンピア9 ヘラ神殿界隈
オリンピア8 博物館4 青銅の楯
オリンピア7 博物館3 ゼウス神殿のメトープ
オリンピア6 博物館2 ゼウス神殿破風の彫刻
オリンピア5 ゼウス神殿
オリンピア1 遺跡の最初はローマ浴場

※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「オリンピアとオリンピック競技会」 ISMEME TRIANTI PANOS VALAVANIS 2009年 Evangelia Chyti
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.